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【あの人はどんな人】片山潜 キングスレー館の設立者 試験対策

time 2018/05/04

【あの人はどんな人】片山潜 キングスレー館の設立者 試験対策

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片山 潜(かたやま せん)

1859年12月26日(安政6年12月3日) – 1933年(昭和8年)11月5日)

日本の労働運動家・社会主義者・社会事業家

久米南条郡羽出木村(現久米南町羽出木)の庄屋に生まれた片山潜は、明治17年に25歳で渡米し、メリーヴィル大学、グリンネル大学、アンドーヴァー神学校、エール大学神学部で学問を重ね、在米中キリスト教徒となり、社会問題に関心を抱いた。明治29年に帰国し、明治30年にキリスト教社会事業の拠点として、日本人最初の隣保館「キングスレー館」を設立した。労働組合運動や社会主義運動に力を尽くし、日本で最初の労働組合の設立や日本共産党の結成など、日本における社会主義運動の先駆者となった。しかし、東京市電ストライキの指導を行ったとして、投獄され大正天皇即位の大赦にて出獄した後は、アメリカへ亡命し、アメリカ共産党、メキシコ共産党の結党に尽力した。大正10年にはソビエト連邦に渡り、コミンテルン常任執行委員会幹部となり、昭和8年に敗血症のためモスクワで死去した。葬儀には15万人のソビエト市民やコミンテルン指導者らが集まり、棺はスターリン等14名によって担がれた。

 

キングスレー館

明治30年に神田三崎町一丁目に一軒家を借りて、イギリスで見たセツルメントを真似て事業を始めた。宣教師長をしていたグリーン博士の援助(月25円、後に援助を切られる)を受けながら開設し、幼稚園、小僧夜学校、市民夜学校等を開催した。このキングスレー館は研究会や競技会場として労働運動・社会主義運動の中心となった。

 

人柄やエピソード

1894年(明治27年)春に約3か月間イギリスに旅行し、イギリスの社会状態や労働運動を視察した。その際、世界で最初のセツルメント拠点であるトインビーホールを見学している。

”当時世界に有名なトインビーホールに行き、滞留を交渉したところ、トインビーには空間がないが付属のベリヲルホールに在るとのことであった。朝夕の食事及び日曜日3度食と寝泊まり代が約1ポンド(日本円で10円)であった。4ペンス出すとソーセージ、じゃがいも及びパンとカレーが食べられた。”

 

労働運動に力を入れるにつれて、キリスト教との縁が薄くなっていった。

“私がその労働運動と離すことができない深みに入るに従って、協会の彼らからは暗々裏に反対を受けた。その中でテキメンに私に打撃を与えたことはグリーン博士が私に月給をくれなかったことである。金25円の月給をお預けにされた…”

 

帰国後英語教師をしていた片山潜は、それを活かして小僧夜学校や市民夜学校で英語を教えた。

“間もなく日本橋の有志家が設立した小僧夜学校で、その区内商店の店員へ英語を教える事となった。ここでは以前の早稲田及び国民英学会より少しは成功の方であったろう。1級の制度が15,6人であったが、数年出ずしてこの14人迄は渡米した。この内ある者は立派に成功している、その夜学校へ通学させたそれらの商店の主人は結果に於いて満足しないかもしれないが、教えた私から言わせれば、実に満足せざるを得ない。”

 

留岡幸助や原胤昭とも交流があり、原胤昭については片山潜が釈放人の世話を手伝っている。

“私の知人の内で彼の留岡幸助君は家庭学校を、原胤昭君は出獄人保護事業を始めて、皆な今日成功している”

 

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