社会福祉士に興味がある方に読んでもらいたい1冊です。本HPで連載していた事例を紹介しています。施設相談員がメインの事例となっており、介護福祉士と何が違うのか、どんなことをするのかよくわかると思います。小説風に書かれているので読みやすいかと思います。
1874年 恤救規則(じゅっきゅうきそく)
恤救規則の読み方は『じゅっきゅうきそく』です。
社会福祉士の試験において重要な制度ですので、必ず覚えておきましょう。以下できる限りわかりやすく解説します。
・日本で初めての貧困者に対する救済法です。
・対象は無告の窮民に限定されました。
・救護法が施行されるまで約半世紀に渡って現役であった制度です。
なぜ恤救規則が出来たのか
天皇を中心とする明治政府では、仁政(天皇の慈恵的救済)による国民の支持の獲得や幕藩体制における救済政策や救済制度の停止・廃止によって新制度が必要となり制定されました。
日本で初めての制度ではありますが、明治以前の藩などでは個別に救済を行っていました。廃藩置県にともない中央政府が管理することになりました。
この時代の貧困問題
恤救規則が制定されたあたりの貧困問題を記載します。具体的に知っているのと知らないのとでは記憶の定着率が異なりますので、恤救規則という名称と合わせて覚えておいてください。
貧困士族の発生
この時代は幕藩体制から明治時代へと移行期であり、国民の環境は大きく動いていました。大量の士族階級を貧困へと導いたのは、秩禄処分でした。幕藩体制において、士族階級へは「禄」と呼ばれる給料のようなものが支給されておりました。一部の士族を除いて、それほど士族といえども裕福ではありませんので、「禄」は生活の支えとなっていました。
しかしそれは明治政府にとっても大きな負担だったのです。そのため、身分制度の撤廃と合わせて秩禄処分として、「禄」の支給を廃止しました。それに対して、失職した士族への就業や生活安定を目的とした士族授産政策もありましたが、一部の士族を教員、巡査などに転身させただけで、大半は生活の基盤を奪われてしまったのです。
農民も資本主義化の犠牲に
近代国家として資本主義化は重要な課題であり、その犠牲となったのは士族だけではありませんでした。地租改正において、旧来の年貢制度を大きく変更し、①収穫量ではなく地価基準とした課税、②税率を一律3%として金納とした、③土地所有者個人に納税義務を負わせる、となりました。
地価の3%を税金として納めなければならなかったのですが、この地価の決め方に問題がありました。土地の価格は明治政府が目標額に応じた価格を設定しており、とても高額だったのです。そのため、自作農が地租を払えないため、小作人に転落することも多くありました。
恤救規則はどのような制度だったのか
無告の窮民だけを対象とする制度である
血縁・地縁関係による相互扶助を救済の基本としているため、それらに頼ることのできない人(無告ノ窮民)が恤救規則の救済対象とされました。身分には関係なく救済されましたが、対象者は極貧者、老衰者、廃疾者、孤児等で、救済方法は米代(下米)換算の現金給付の現金給付でした。
⇒ごく限られた人たちだけを対象とした制度でした。
無告ノ窮民・・・極貧の廃疾者、70歳以上の重病者もしくは老衰者、病人、13歳以下の者で、独身で労働能力のない者であり、その上で頼ることができる人が居ない者
国としての救済責任は認めない
これらは恩恵的な給付であり、国としての救済責任を認めていません。仕方ないから助けようといった状態です。また、劣等処遇の原則に沿ったものであり、最低限の生活を下回る程度の給付額でした。
⇒そのため、救済を受けることは恥であるという認識を強くしました。
恤救規則の効果は?
結果として、効果という効果はなく各地方公共団体において多くの救貧条例が制定され、制度の全国的な統一を欠く状態となりました。そのため、政府においても近代的な救貧法規定の必要を認め、内閣および議院から2度にわたって救貧法規の法律案(窮民救助法案等)が出されましたが成立することなく終わりました。
⇒恤救規則が実質的に意味のないものとわかりながらも、救護法までの50年ほど続いたわけです。
その時代の貧困状況を述べたものが横山源之助の「日本の下層社会」(1899年)でした。
横山源之助・・・(1871-1915)社会問題研究家でありジャーナリスト。毎日新聞の記者となり、都市下層社会や労働者の実態を現地に入って調査し、「日本之下層社会」を著した。片山潜らと労働運動にも参加した。関連書籍:日本の下層社会 (岩波文庫 青 109-1)
ワンポイント
対象者の違い
対象者 | |
恤救規則 | ①極質の廃疾者 ②70歳以上の重病もしくは老衰者 ③病気の者 ④13歳以下の者 であり頼る人がいない者。 |
救護法 | ①65歳以上の高齢者 ②13歳以下の幼者 ③妊産婦 ④疾病・障害等で労働不可能である者。 |
他の制度との比較
イギリスの救貧法が1500年代から登場していることを考えると、だいぶ遅ればせながらの登場です。ただ、背景にキリスト教が関連していることや救貧法は治安維持の性格が強いことなど状況は異なります。
【試験対策】知っておきたい、イギリスの社会保障制度の発展における歴史的背景 救貧法(1531年法)に至るまで
社会福祉士国家試験における最近の出題
平成28年度試験 低所得者に対する支援と生活保護制度 問題63
現在の生活保護法成立前の公的扶助制度に関する記述のうち,正しいものを1つ選びなさい。
恤救規則(1874年(明治7年))は,高齢者については65歳以上の就労できない者を救済の対象とした。
→ × 70歳以上です。救護法とは対象者の年齢も異なっていることに注意しましょう。
平成28年度試験 児童や家庭に対する支援と児童・家庭福祉制度 問題137
日本の児童福祉の歴史に関する次の記述のうち,正しいものを1つ選びなさい。
恤救規則では,15歳以下の幼者について,人民相互の情宜に頼らず,国家が対応すると規定した。
→ × 相互扶助を救済の基本としているため、国家が対応するということは間違いです。また、年齢も違います。
1929年 救護法 につづく
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