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【小説風事例紹介】プライドの高い元お嬢様のBさん


1.情報のない利用者

私が小規模多機能ホーム(小規模多機能型居宅介護)の管理者・ケアマネージャーとして勤務していた頃の話です。

 

小規模多機能ホームとは、自宅で生活を送る要介護(要支援)の方に通所・訪問・宿泊の3サービスを提供し、在宅生活をサポートする事業所です。お泊りできるデイサービスからヘルパーも派遣する事業所と言えば分かりやすいでしょうか。3つのサービスを一体的に提供することでサービス毎の環境・スタッフの変化を軽減できるため、認知症の方でも利用しやすいという特長があります。

 

私が小規模多機能ホームで勤務することになったきっかけは前任者の退職で、その後を継ぐことになったのです。肩書きは先述の通りですが、業態の特殊性もあって人員確保に苦労しており、着任から軌道に乗るまで2年ほどの実態は介護職員でした。

 

通所の送迎・見守りや各種介助・食事の準備。利用者宅に訪問し、安否確認・買い物同行・食事の準備。宿泊対応のための夜勤 等々。

 

よく「二足の草鞋を履く」と言いますが、当時に至っては一体何足の草鞋を履かされるのだろうという状態でした。

 

業界での経験はありましたが全て施設内での業務であり、それ以外は実質新人のようなものでしたので、仕事をこなせるようになるまで大変な思いをしました。

 

一人一人の利用者につき前任者からの引き継ぎが行われたのですが、その中で1人、気になる利用者がいました。Bさんです。

 

「利用登録はしているが、ほとんど会ったことがないので情報がない」まるで引き継ぎになっていないのですが、前任者は頭を抱えていたようです。

 

60代の認知症の女性で一人暮らし。本人の変調を察知した娘様が良かれと思って登録を勧め、面談後に何とか契約はしたが、本人は利用を断固拒否している。分かっている情報はその程度です。

 

拒否しているから何もしていませんで利用料を頂くことはできません。難しい運営基準の話はさておき、放置するとお役所にも睨まれてしまう話です。Bさん本人の状況もさることながら、そう言った意味でも何かアクションを起こさなければならないと感じました。

 

まずは娘様に連絡し、ご挨拶をしました。サバサバした感じの方で、遠方に住んでおり、仕事が忙しいので当分こちらに来ることはできないとの返答。加えて、Bさん本人はあれこれ言うかもしれないが、そちらの好きなようにやって頂いてよい、とも。

 

どこに行きたいかと尋ね、どこでもよいと言われた時ぐらい漠然としたスタートとなりました。

 

2.初対面

まずは接触と様子伺いのため、毎日の訪問を実施することにしました。Bさんの自宅はホームから自転車で5分ぐらいの場所にあるオートロック付きのマンションで、セキュリティは万全。

 

事業所の名前を言うだけで「お引き取り下さい!」と言われ、エントランスにも入れない日々が続きます。管理人のオジサンにも不審な目で見られるようになり、まるで粘り強い営業マンの様相です。

 

一向に事態が動かないため、面談アポを取り付けることにしました。こちらもまた苦情受付センターの如く、毎回拒否とお説教の嵐です。

 

対応するスタッフを変えたりして訪問と電話を交互に繰り返しますが、本人の顔すら見られない日が続きました。

 

ある時、大型の台風が接近した日に事態が動きました。ひどい風雨の中、いつも通り訪問しインターフォンを押すと、「どうぞ」と自動ドアが開きました。正直入れないと思っていたので予想外の出来事に少し動揺しましたが、またとないチャンスを逃すわけにはいきません。

 

エレベーターに乗り、Bさんが住む階に向かいます。扉の向こうに小奇麗な初老の女性が立っています。軽く会釈をしてすれ違おうとすると、「〇〇(事業所名)さん?」と尋ねられます。Bさんとの初めての顔合わせでした。

 

名刺を渡す暇もなく、「私の家はこっち」と案内されます。ロングヘア―に長身、部屋着であろうスウェットもスポーツブランド。少し白髪は混じっているものの、現役で働いていてもおかしくないぐらいのキリッとした風格。普段ホームで見かける利用者層とは明らかに毛色が違います。

 

自宅内はシンプルかつ整然としており、リビングの大きなテレビでワイドショーが流れています。その横の椅子に座るよう促され、着席します。挨拶と自己紹介をしながら室内の様子を見る限り、訪問での支援が必要そうな部分は特に見当たりません。

 

ただ、「〇〇(Bさんの名前)、認知症に負けるな!」「~すること!」と書かれた紙があちこちに貼られており、認知症と戦っていること、スケジュールを忘れまいと頑張っていることが窺い知れました。

 

「こんな大変な中、押し売りみたいに現れて、恥ずかしくないの?!」苦情受付センターの時に聞いた例の声・口調を生で聴きます。お説教を垂れながらも手際よくコーヒーを入れ、私の前に置いてくれます。続けざまに、柔軟剤の香りのするバスタオルを手渡されます。

 

かなりの話好きのようで、自身の生い立ちから娘の美香さん(仮名)、昔飼っていた犬の話に至るまで、止まることを知りませんでした。

 

せいぜい30~40分程度で戻る予定だったので、遅くなりそうだと事業所に連絡を入れるため一旦その場を離れます。電話越しにスタッフたちが「マジっすか!」と騒いでるのが聞こえました。

 

3.Bさんという女性

席に戻ると、神妙な顔付きでBさんが「お兄さん、認知症って知ってる?私、それらしいの。おかしいかな?」と話しました。当たり障りない返事しかできませんでしたが、Bさんとの距離が縮まった気がしました。

 

「別に寂しいとかあんたを信用したとかじゃなくて、雨の中可哀想だから入れてあげただけよ!」とのことでしたが、帰りはエントランスまで見送ってくれ、濡れた時用のタオルをカバンにねじ込んでくれると言うツンデレぶりでした。

 

ホームに戻った私はさながら英雄の扱いです。完全には掴みきれていないものの、大きな前進を実感しました。

 

次は借りたタオルの返却を理由に訪問します。インターフォン越しに「そんな汚い物、捨てればよかったのに!」と聞こえるやいなや、自動ドアが開きます。

 

結局この日も他愛のない話をして自宅を出たのですが、徐々にBさんのことが分かってきます。

 

生まれた頃からこの地域で暮らしており、実家は非常に裕福で、当時珍しかったアフガンハウンドという犬を2頭飼っていた。女子大を卒業後は教育委員会に勤めていた。有名企業に勤めるご主人と結婚、早くに先立たれるが女手一つで一人娘の美香さんを有名大学に通わせ、無事に卒業。彼女もまた一流企業に勤める男性と結婚し、高級住宅地の一軒家に住み、ピアニストとして活躍している。

 

娘夫婦は毎週来訪し、ホームパーティーをしている。Bさんは現在も車で大学に出向き、教育関連の講義をしている。と、絵に描いたようなエリートだったのです。

 

一度ホームに来てみないかとの問いかけに、Bさんは堰を切ったように話し始めます。

 

・高齢者の集まるデイサービスには行きたくない。同じと思われたくないし、世代も合わない。

 

・皆で集まってつまらないお遊戯やゲームに付き合わされるのはまっぴら。

 

・自分はまだまだ能力がある。仕事先があるなら働きたいぐらいだ。

 

・介護してもらう人、気の毒な人と思われたくない。

 

かなりトゲのある表現ですが、一理あると思える部分もありました。

 

そこで、嫌ならすぐに帰ってもよいこと・利用者ではなくボランティアという立場での通所であることを条件に来所を打診したところ、まんざらでもない様子でした。

 

ちょうど週末だったこともあり、次の月曜から通所をスタートすることになりました。Bさんは使い古された手帳に、事業所名と時間を書き込みます。

 

4.ボランティアのBさん

ボランティアとしてBさんの通所が始まりました。恥ずかしい車に乗っているところを近所に見られたら困るので、運動がてら歩いていくとのこと。土地勘はあるようなので、本人を信じて来所を待つことにしました。定刻に事業所のインターフォンが鳴ります。モニターを見ると、Bさんの姿が。

 

Bさんはボランティアとしてバリバリ働いてくれました。高齢者の場合、「お手伝い」と称して何かをお願いしても、事故防止のため結局そこにスタッフの見守りが必要になるのですが、Bさんは事情が違いました。

 

片付けから洗濯物の整理に至るまで、スタッフと同じぐらいの働きぶりです。

 

皆から称賛され、ご満悦のBさん。事業所の車で自宅に送ろうかと尋ねますが見事に拒否され、仕方なくホームの玄関まで見送りました。

 

家に帰ったら事業所に一報入れてほしいとのお願いを覚えていたようで、「今日は楽しかったよ、ありがとう!」と電話が入りました。

 

時折、「今日は大学に行くから休む」と言ってドタキャンすることもありましたが、通所がBさんの日課となり、帰宅後にホームに電話が入り、何度も何度も明日の時間を確認するのも恒例になりました。

 

ただ、他の利用者を見下したり、自身のお嬢様自慢の度が過ぎて煙たがられるようになり、弱気なスタッフに横柄な態度をとるようになってきました。

 

加えて、懇願されて来たが本意ではない・早く帰らせてほしい等と吹聴するようになり、少々厄介なキャラクターになってきました。

 

かと言ってホームに来なくなるわけでもなく、途中で帰るわけでもありません。他の利用者がいなくなるまでホームで過ごすのです。

 

「みんな、家に帰ると待っててくれる人がいるもんね」というBさん。

 

実際にはBさんよりひどい状況の利用者はたくさんいましたし、どちらかと言えばBさんは恵まれた環境にあったのですが、どこか寂しそうにしていました。皆がいるとついイキがってしまう、寂しがりの不良生徒の様相です。

 

Bさんのルーティンが安定してきた頃、近くに行く用事があるとのことで、Bさんの娘の美香さんと会う機会ができました。ピアニストと聞いていたので、ドレスに身を包んだエレガントなお嬢様を想像していました。しかし、実際に現れたのはダメージジーンズにドクロのTシャツを着こなし、ポニーテールにどぎついメイクのお姉さんでした。声はBさんにそっくりで、口調はよりサバサバしていました。

 

5.本当のBさん

挨拶もほどほどに近況を報告し、Bさんが話した自身の身上について尋ねたところ、美香さんは大笑いしました。

 

実家が非常に裕福だったこと、ご主人は有名企業に勤めており早くにこの世を去ったところまでは事実だが、今はお金も底をつきかけており、それ以外の話はほぼ虚構。犬に至っては野良犬を拾ってきてよく父に怒られていた。

 

美香さんは大学はおろか、ピアノなんて弾いたことがない。高校を中退し、以降はダンス一筋、バイトをしながらお金を貯め、自身のスタジオを開設して子ども達にダンスを教えている。

 

実際のBさんは色々なトラブルに見舞われた苦労人の側面が強く、勝ち気でプライドは高かったが過去を誤魔化したり嘘をつくことはなく、逆境を笑いやエネルギーに変えて生きていた、とのことでした。

 

美香さんは時折ニヤニヤしながらも淡々と話しました。確かにBさんの言うことには辻褄の合わない部分が多かったですが、まさかここまでだったとは…。

 

美香さんは続けます。

 

母との関係については、毎週のホームパーティーどころか、本人から絶縁だと言われた。恐らくきっかけは様子のおかしい母を病院に連れて行き、皆の前で認知症の診断を言い渡されたこと。本人にとっては相当ショックで屈辱的だったようで、予定は忘れてしまうのにそのことだけはしっかり覚えており、電話をかけてもボロカスに言われるので接触を控えている。

 

恐らく母の話は「そうなりたかっけど、なれなかった」という悔しさや劣等感の裏返し。私は母を誇りに思うし、自分の生き方にも悔いはない。嘘をついたり見栄を張ったところで誰も喜ばないのにね。

 

病気は気の毒だけど、全ては本人がやってきたことの結果。私と合うのがストレスになるのであれば会わないし、できるところギリギリまで頑張ればいい。ただ、娘である以上、SOSがあれば絶対に飛んで行くし、協力は惜しまない。

 

薄情にも聞こえますが、美香さんにはそう感じさせない毅然とした風格がありました。理解できない言動に秘められた奥底の理由を考え、分析・理解するのは私たちの得意とするところです。特に家族はその辺りを頭では分かっていても冷静に俯瞰するのが難しいことが多いのですが、美香さんの見解は見事なもので、「仰る通りだと思います」としか言えませんでした。

 

念のためマンションの管理人さんにもBさんの状態とホームの関係を伝えて協力を呼びかけておくとのことで、対応をお願いし、その日は解散しました。

 

6.回転寿司まつり

その後、回転寿司まつり!と称して行事で回転寿司を食べに行くことになりました。「そんな貧乏人が行くお寿司屋なんて行ったことがないし、行きたいとも思わない!私はね…」と、板前の握る寿司がいかに美味しいか等、いつものウンチクが始まります。

 

一方、5皿分をシューターに入れるとゲームが始まる・各テーブルにお茶用の熱湯が出る蛇口みたいな物がある・注文したお寿司はオーダー皿に乗って運ばれてくる等、行ったことがない割には妙に内部の事情に精通していました。

 

Bさんは文句を言いながらも手帳に予定を書き込み、ずっとパンフレットを眺めています。楽しみにしている度で言えば、間違いなくホームの利用者でナンバーワンだったでしょう。

 

当日になり、皆がお出かけへの準備に備えています。しかし、定刻になってもBさんが来ません。電話をかけますが、誰も出ません。自宅にいるのか、こちらに向かっているのかも分からず、スタッフで手分けしてBさんの通所ルートや自宅周辺を探しますが、見つかりません。

 

マンションに出向いて管理人さんに様子を尋ねますが、「朝からずっとここにいるけど、Bさんは出てきてないよ」とのことでした。

 

先日の面談後に美香さんが話を通してくれていたようで、管理人さんも事情を察して直接Bさん宅に向かってくれますが、反応がないとのこと。マスターキーで中に入ろうかという話になりました。状況報告を兼ねて美香さんに連絡を入れたところ、「チェーンをかけていると思いますが、後で弁償するのでぶった切って突入して下さい。私もすぐ行きます」との返答。

 

チェーンを切るための巨大ニッパーのような物を持った管理人さんの立ち合いの元、鍵を開けます。幸いチェーンはかかっておらず、すんなりと扉が開きます。

 

名前を呼んでも反応がなく、テレビのワイドショーの音のみが聞こえます。恐る恐る寝室に足を踏み入れると、Bさんがベッドの横に横たわっていました。傍らに回転寿司まつり!のチラシが落ちています。

 

呼びかけに反応があり、息絶えてはいませんでした。しかし意識が朦朧としているようで、すぐに救急車を呼びました。そうこうしている間に美香さんも到着したため、搬送の付き添いをお願いし、私はホームに戻りました。

 

私を含む運転できるスタッフがBさんの対応に出ていたため、回転寿司まつり!出発前の現場はカオスの様相でした。辛うじてイベントは実施できたものの、気疲れしてほとんどお寿司を食べられませんでした。

 

7.美香さんの元へ

病院に向かった美香さんから連絡が入りました。原因は特定できないものの、一過性の心筋梗塞の可能性が高く、今は昏睡状態。あと少し発見が遅ければ、最悪の事態になっていたと。美香さんは声が震えていましたが、努めて冷静に話そうとしており、何度もすいません・有難うと繰り返していました。

 

その後、病院にお見舞いと状況伺いを兼ねて訪問しました。Bさんは沢山の機械に囲まれ、ぐったりしていました。私の顔を覚えてくれていたようで、見るなり目じりにすっと涙を流しました。何も言いませんでしたが、首を横に振っていました。

 

私の勝手な推測に過ぎませんが、「こんな姿を見ないで、早く帰って」と言われた気がしたので、「へこたれて場合じゃないぞ、しっかりな」と握手をして退室することにしました。とても温かく、力強い握手でした。Bさんは絶対に戻ってくる。根拠もなくそう思いました。

 

しばらく経ったある日、美香さんより話がしたいと連絡があり、時間を設けることになりました。

 

危機的な状態は脱し、急性期治療は終えたものの経過は横ばいで、それほど先は長くない。自宅での生活など到底無理な話で、施設に入居するか転院するかを選択するよう医師に言われた。かなり久しぶりに母と顔を合わせ、またガミガミ言われるんだろうなと思っていたが、そんな元気もなくなったようで、昔の母に戻っていた。

 

さすがに自宅で看るのは無理だが、退院後は私の家の近くの施設に入居させることにした。今さらと思われるだろうけど、ちょくちょく顔を見に行こうと思って。今日はそのお礼とお詫び。

 

そう話し、美香さんはアフロの男性が描かれたカラフルでポップな包み紙の菓子折りを置いて帰りました。

 

退院後Bさんは遠くに行ってしまい会うことは叶いませんでしたが、定期的に美香さんとメールでやりとりを続けました。

 

Bさんへの対応は小規模多機能ホーム・介護スタッフとして正しいのかと問われると疑問があります。中には違和感や怒りを覚える方もいるかもしれません。

 

しかし、自分たちの心に残っているケースは?と聞くと、手のかかる生徒ほど先生の印象に残っているのと同じような感覚なのか、ほとんどがBさんの名を挙げます。

 

認知症への恐怖や葛藤を隠し、そしてある時はリアルにさらけ出し、お嬢様として振る舞い続けたBさん。

 

事業所の特性を活かして臨機応変(行き当たりばったり?)に対応し、サポートし続けたことで、チームワークや利用者に寄り添うことの重要性も学ぶことができたのです。

 

ある日、美香さんからのメールの一文に目が止まりました。

 

「何とか車椅子に座っていられるようになり、施設の行事で回転寿司屋に行ったようです。家族でしょっちゅう食べに行っていたので、それを思い出したのか、とても喜んでいたと報告を受けました」

 

Bさん、やっぱり常連だったんだな。

 

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