その他

【小説風事例紹介】認知症のAさんと何も知らない私の関わり方


 1.初めての出会い

これは私がまだ今の介護施設で勤務する前、当時高校生だった私が、ある介護施設でアルバイトを始めた時の話です。当時は、介護や認知症に関する理解はなく、少し話を聞いたことがあるという程度でした。

 

アルバイト先で認知症を呈した女性Aさんと出会いました。

 

Aさんは入所前に認知症の症状が著名になり、徘徊等で近所からの苦情が絶えなかったそうです。そのため兄弟が引き取り看ることにしたそうですが、その時すでにAさんも70代であり、兄弟も70代という老老介護により在宅での生活が困難となってしまいました。そのため当施設に入所を決意しました。

 

Aさんは、明るく挨拶をすると笑顔で挨拶を返してくれる愛嬌の良い女性でした。そのため私は、「認知症は噂だけで、そこまでではないのではないか」と思っていました。

 

しかし、それはすぐに覆されました。

 

話で聞いていた通り、食事を摂った30分から1時間後にAさんは「ご飯を食べてない」と徘徊をしていました。私は、どう対応して良いかわからずAさんに「ご飯食べていましたよ」と伝えるとAさんは、「食べてない!食べたとか嘘つくな!」と怒り出しました。私はその後の対応に困り、「Aさんの食器が洗われていますから、きっと食べたと思いますよ」と伝えると、「あら、そう?食べたかね?あー、食べた。食べた」とどことなく納得していないような様子で、話を合わせたようにそう言い自室へ帰って行きました。

 

その後2〜3時間後にAさんは再び食事をしていないと言い、徘徊をしていました。その時も、先程と同じような対応をしましたが、Aさんは納得せず「食べてない!ご飯が出るまで帰らん!」の一点張り。

 

しばらく様子をみていると、Aさんは私の顔を見て「ご飯まだ?」と質問してきました。私はそこでも対応に困りふと外を見ました。その時は、深夜23時を回っており外が暗いことと時間を伝えて見たら落ち着くのではないかと思い伝えてみました。すると、Aさんは「あら、ほんとね。もう帰って寝る」とさっきまでのご飯を食べていないと怒っていたAさんはなく、とても落ち着いた様子で納得し、自室へ帰って行きました。その日は、それ以降Aさんは「ご飯を食べていない」と徘徊することなく、自室で朝まで良眠していました。翌日、夜遅くまで徘徊していたAさんによく眠れたか質問してみるとAさんは「よく眠れた。毎晩21時には寝て、朝まで目が覚めないから」と言われました。

 

今までこのような状況に遭遇したことのない私にとっては、認知症によってここまで短期記憶に障害が出るということに驚きを隠せませんでした。

Aさんとのかかわり

そんなAさんとの関わりが始まりました。

 

Aさんは夜中に徘徊していることもあり、日中は傾眠がとても強いです。しかし、レクリエーションになるとほかの利用者と一緒になってその時間を楽しんでいました。認知症にはいくつかタイプがありますが、病前にしていた趣味などをすると良いという話を聞いたことがあり、Aさんにどんなことをしていたか質問をしてみました。するとAさんは「昔は、油絵などしたり編み物をしたりしていた」ということを聴くことができました。そこで私は、絵を描くことや塗り絵を一緒にすることにしました。するとAさんは、何も言わずペンを取り、絵を書き始めました。やはり昔絵を描いていたこともありとても絵が上手でその絵を見てほかの利用者の方々も「すごく上手やね」と声が聞こえて来ました。それを言われたAさんはとても嬉しそうな顔をしており、「他にない?」とやる気満々な表情で私に言ってきました。今までは傾眠しており特に自ら何かをするということがなかったAさんが別人のようにも見えました。

 

このこともあり、夜間の徘徊は落ち着くのではないかと思いましたが、夜間の徘徊はいつも通りでした。徘徊の理由はやはり「ご飯を食べていない。」でした。私はAさんに「お腹すきました?」と質問するとAさんは「お腹はね、空いていないけどね、ご飯の時に誰も誘ってくれないし私だけ仲間はずれだから」と言いました。Aさんは自分だけ蚊帳の外という不安があるのかなと私は思いました。その時は、「そんなことないですよ。Aさんはみんな一緒にご飯を美味しいって言いながら食べていましたよ。誰からも誘われないことが不安でしたら私がご飯の時に誘いに行きますね」と伝えるとAさんは「ほんと?お願いね。帰ろ」と居室へ帰って行きました。

 

この時、認知症の方が徘徊する理由はなんらかの不安などから起きるものなのかなと感じました。この日は、これ以外でAさんが徘徊することなく朝まで熟睡されていました。認知症の方は、関わり方や声かけの仕方が重要なのだということを実感した日でした。

 

しかしながら、翌日にAさんに「昨夜はあれからよく眠れましたか?」と質問するとAさんは「なんのこと?私はいつも夜21時にはベッドで寝て起きることなく朝まで寝ているよ。夜に出かけることもないしね。足が悪いから歩くこともできないよ」と言われました。昨夜の出来事やAさんが言ったことが嘘のような発言でした。また、当時Aさんは歩行車を利用して歩いていたのですが、自分が歩いているということですら忘れてしまう認知症という症状はとても不思議で、とても怖いものなのだと私はびっくりしました。

 

かかわり方の実践

その後のAさんの生活は変わることなく、夕食を食べたのにも関わらず「わたしだけご飯を食べていない」という状態でした。そういった症状の時の認知症の方に対する対処法として、夕食後の習慣としてテーブルの拭き掃除等をして頂き、食事をしていないと言って徘徊した時に、「今日もテーブル拭いてくれてありがとう」と話題をそらすと症状が落ち着くという話を聞いたため実際に行ってみました。

 

初めは、Aさんもやる気があり自分のテーブルの周りは拭いてくれましたが、次第に「しない」と言ってしてくれなくなりました。また、拭き掃除をして頂いていた時の夜、Aさんは変わらず「ご飯まだ?」と徘徊をしていました。そのため、話題転換のきっかけとして、私は「今日もテーブルを拭いて頂いてありがとうございました。とても助かりました。」と伝えても、Aさんは「ご飯食べてないからテーブルやら拭かん」と答えました。認知症の対象法にもいくつもありますが、どれが良いというのは人それぞれであり、その人の性格や住んでいた環境によっても違うということを感じました。

 

その時は、「朝食まで後7時間後ですよ」と伝えてみると、Aさんは「そんなに時間があるなら帰ろ」と素直に聞き入れ部屋へ帰って行きました。翌日は昨夜のことを全く覚えていない様子でした。今回の試みの中で、認知症の人に自身がどのように記憶を保持してもらうかではなく、どのように生活リズムを習慣化していくかということが重要であるということを思いました。

 

また、今回のように、初めはやる気がありテーブル拭きのような活動をしてくれますが、次第に拒否的になることも認知症の特徴でもあるらしく、認知症の人が活動をどのように拒否なく継続してもらうかということが、Aさんとの関わりの中での発見でした。

 

ある夜のこと、Aさんが夜に変わらず徘徊をしていました。私はまたご飯かな?と思いどうしたのか質問してみました。しかし、よく見るとAさんは肩掛けのバッグをしており、Aさんは「うちに帰るから、電車かバスの時刻を教えて欲しい」と言いました。やはり家に帰りたい気持ちは認知症で状況がわからなくなってもあるんだなと思いました。

 

その時私は、「もう夜中なので電車もバスもありませんよ。明日にしましょう」と伝えました。Aさんは納得した様子で部屋に戻り朝まで寝ましたが、家族も高齢で家に帰ることが難しい状況で、家に帰ることができるのだろうかと疑問に思った夜になりました。

Aさんの骨折

毎晩夜になるとご飯を食べていないと徘徊するAさんの生活は変わらず、何年か経ちました。やはり高齢者ということもあり、歳を重ねるごとに身体機能も徐々に低下して行きました。何年か前までは歩行器を使用し歩けていたAさんですが、歩くことも難しくなっていました。

 

そんなある日、朝食の時間まであとわずかというところまでベッド臥床していたのですが、朝食誘導時にはベッドから降りて座っていました。その時はどこも打ち身等が見当たらなかったのですが、デイサービスの際に左足を強く痛がり見てみると、Aさんの細い足がふた回りぐらい大きく腫れており、そのまま整形外科へ受診することになりました。診断の結果は、大腿骨の骨折でした。骨折がほんのわずかな時間に起きているため施設側もいつそうなったのかが分からず、検査の結果等から低血糖症状によるふらつき転倒したのだろうということでした。

 

Aさんは糖尿病を患っており、血糖値を下げる薬やインスリン注射をしていました。前に私は、かかりつけのDr.に現在の血糖値が安定してきているので、投薬の量などの再検討をお願いしていたのですが、Dr.からは検討の必要なく継続するようにとの指示でした。その結果低血糖になってしまったのです。実際に管理しているのは施設側で、整形外科のDr.も施設が悪いという結果にされましたが、指示通りにDr.の判断と指示に従うしかないため、とても理不尽に感じました。

 

入院となったAさんは骨折部の手術が終わり、リハビリを受けることにより骨折する前くらいには歩けるようになりました。その後状態が安定し、退院し施設へ戻ってきました。しかし、入院時ではリハビリ時以外は、車椅子に座っているかベッド臥床がほとんどであったため、左下肢に褥瘡ができていまい、褥瘡治療優先で施設でのリハビリができなり、さらに歩けなくなりました。

 

高齢者になるとちょっとしたことが原因で、本人にとって大きな生活や環境の変化に繋がるということがわかりました。

 

その後、整形外科での指示で糖尿病に対しての薬の再検討をしていただき、低血糖になることはありませんでした。そのこともあってかわかりませんが、Aさんにも大きな変化が見られるようになりました。以前まで、認知症の症状が出ていたのですが、薬の検討をしてから認知機能がよくなったのです。脳は糖しか利用することができないと聞いたことがあり、脳に供給する糖が足りなかったのかもしれません。

 

Aさんの大きな変化と状態の悪化

Aさんが使用しているマットは、今までは褥瘡の悪化と予防をするために柔らかいマットだったのですが、なかなか良くならないことからエアーマットに変更することになりました。エアーマットは、体圧分散と徐圧できることから褥瘡の悪化を防ぎ、新たに褥瘡ができない様に予防できるそうなのですが、その反面起き上がろうとするとマットが沈むため起き上げにくくなるというデメリットもあるそうです。

 

人は何か動作を行う時は作用反作用を利用しているそうで、エアーマットにしたことで作用反作用を利用することが出来ず、Aさんの身体機能はどんどん低下していきました。また、骨折したせいなのか認知症の症状が悪化したのかわかりませんが、とても不穏状態が強く一日中大声で叫ぶ様にもなりました。

 

私は、Aさんが叫ぶ度に「どうしましたか」と質問をするのですが、Aさんは聞き入れることなく叫び続けました。その内容も「あー」と叫ぶことがほとんどで、私が「どこか痛みますか?」と質問してもAさんは「どこも痛くないし、どうもない」と返答するばかりです。前に認知症の方は病前にしていたことを行うと症状が落ち着くという話を思い出し、再び試みて見ましたがAさんは「せん!うわぁー」と叫ぶばかりでした。

 

骨折部位が痛むのかなぁーと思いDr.から処方されている痛み止めを服薬してもらいましたが、それも効かず、只々叫ぶばかりです。今までのAさんとは思えませんでした。

 

認知症の症状として、中核症状と周辺症状があるそうです。大きな声で叫んで暴力等を行う場合は認知症の周辺症状にあたり、周辺症状が発症する際は何かしら原因があると聞きました。しかし、Aさんの場合本人に聞いても「どうもない」と返答し本人から確認を取ることができません。他利用者の中にあまりよく思っていない方がおり、その人の近くにいるから叫ぶというわけでもありません。主訴が分からず何が原因で叫び続けるのか分からず私はどうしたら良いかわかりませんでした。

 

そこで私なり少し調べて見ました。しかし、調べた結果は薬物療法か関わりで症状を緩和するとしかありませんでした。興奮を抑制する精神病薬も処方されていましたが、あまり効果が見られないことが多く、関わりでは只々叫ぶAさんに何か活動を提供しようとしても、不穏状態が強く活動を行うことができません。

 

今後どのように関わっていけば良いかとても困りました。

 

Aさんとのかかわり方の思案

Aさんが落ち着いて過ごすことが少なくなってきました。何かしらの要求はあるのですがその際は必ず大声で叫び、なにを要求したいのかわかりません。そこで私は、一度落ち着かせてから話を行えば、Aさんの要求がわかるかもしれないと思いAさんを個室へ誘導し、叫び疲れて落ち着くまで様子を見てみることにしました。

 

しかし、不穏状態が治るどころかどんどん状態が悪化していくばかりでなかなか落ち着きません。私はどうして良いかわかりませんでした。そこで、かかりつけのDr.に薬剤でコントロールするのか、それとも現状のままで経過を観察するのか相談してみました。Dr.は関わりしかないといいました。

 

子どもと買い物に行って、欲しいものが手に入らない時のように大声で叫んでいたAさんですが、病院へ行きDr.を前にすると何事もなかったかのように大人しくなるため、Dr.に現況を相談しても信用してもらえませんでした。福祉施設と医療施設(病院等)に大きな壁があるということを感じました。色々な方達から話を聴くと、語弊はあると思いますがどうしても福祉施設で勤務している方は医療施設(病院等)で勤務している方達から知識がないと見られるそうで、現状を伝えてもなかなか聞き入れてくれることがないそうです。

 

それもあり、薬剤の変更もなくただただ関わりでどうにかなるという返答だけした。どんな疾患にしても人それぞれではあると思いますが、認知症が進行すると関わりだけでは改善することは難しく、強めの薬剤で興奮を落ち着かせるということもよくあるそうです。また、薬剤の調整も難しく、興奮を抑えるために注射等を行うと一気に意欲がなくなりぐったりしてしまうそうです。不穏状態での介助もとても大変ですが意欲が著しく減退してしまった状態での介助も、介助される側と介助者の両者の負担が大きくなるばかりです。

 

私はそんなAさんと関わる中で困っている時、もしかしたらと思ったことがありました。それは、生まれたばかりの赤ちゃんが何かを要求する際に大声で泣くことです。Aさんは、喋れないわけではありませんが、何かしらの理由で言いたくない、でもどうにかして欲しいという時に大声で叫ぶのではないかと思いました。それをヒントに、いかにAさんにとって楽な生活ができるのか、また介助者にとっても負担が少ない生活ができるのかを考えながら、Aさんとの新たな関わりが始まります。

 

新たな試みと家族の変化、Aさんの日々

変わらずAさんは、明確な要求があるわけではなく叫ぶ毎日でした。そこで私は、処方されている薬を服薬していただき様子を見ることにしました。

 

大きな改善が見られることはありませんでしたが、時には不穏状態が落ち着き従業員や他利用者と会話を楽しむ姿が見られるようになりました。私は、幼少の子供のように何か要求があるときや特に要求があるわけではないけど、構って欲しい時にぐずったり泣いたり叫んだりとする事と類似していると考えていたので、何かしらの活動を用いることをしてみました。

 

病前にさまざまな趣味を持っていたAさんだったので、手芸を一緒にしてみました。すると、Aさんは「この色の糸いいね」と言う時もあり、手芸をしながら叫ぶ事もありましたが少し不穏状態が落ち着きました。

 

このとき私は、Aさんは少しずつできていたことができなくなっていくことが不安であり、また恐怖でもあるのかもしれないと思いました。そんな変わらない日々を過ごしていたAさんですが、ある日Aさんの家族がAさんに会いに来た際にこんな事を言っていました。

 

「ここ(当施設)に来てから、Aはこんな状態になったからよそへ移ろうと思う。」と移ろうと考えている施設のパンフレットを持って来ていました。普段どのように過ごしているのか分からず、たまに会いに来た際に現況や今後どのように支援をしていくかを説明しても、家族には伝わらず私たちが原因で状態が悪くなったと言うのです。

 

施設での介護職をある程度経験した方達に色々聞いてみましたが、どうしても家族側からは施設が悪いという考えを持つ方が多いそうです。

 

再度現在のAさんの状態を伝え、検討していただくように伝えました。現在のAさんの状態では病院側も見られないと言われたことがあり、実際に治療や支援を行うとなると、薬物による抑制しかないそうです。そうなるとぐったりした状態になり、会話もままならない状態になるため、その事も伝え検討していただきました。

 

最終的には転所する事なく今の施設で過ごす事になりました。今後、Aさんがより良い生活をしていくために、今できる事を支援者と共にできなくなっていくことは怖いかもしれませんが、できないことに対しては私たちが支援するという事をお互いに理解し合うことが大切なのかもしれません。これからも、Aさんの変わらぬ日々が続きます。

 

最後に、地域で生活をしていく上で、行政、福祉、医療をどのように連携していくかということがとても大切であるということを感じました。それぞれがどんな役割をしているのかを各々が理解し、職場内でも周知していくことが今後の支援に大きく関わってくると思いました。

 

-その他
-,