社会福祉士コラム

【療育体験】ASD、ADHDを持つ息子から貰った「ありがとう」の手紙

 

障害の種別

ASD(自閉症スペクトラム、アスペルガー症候群、ADHD(注意欠如・多動性障害

 

 ASD、ADHDを持つ息子から貰った「ありがとう」の手紙

私の息子は、言葉が遅く1歳半健診で引っかかりました。その後、保健師さんによる家庭訪問と、自治体の発達が遅れている子どもの集まりに参加しました。保健師さんの見立てでは特に問題ないということでしたが、落ち着きのなさ、異常な癇癪、切り替えの悪さ、コミュケーションの取りづらさから障害を疑い、専門の病院に予約し経過観察を続けました。

 

ADS、ADHDと正式に診断されたのは、小学校の2年生でした。幼いころからトラブルだらけで、いつも友達と争いを起こしていましたが、実は寂しがり屋で、誰かと常に関わりを持ちたい子どもでした。けれど、うまくコミュニケーションが取れず、一方的で独りよがり。息子を面白いと思って最初は付き合ってくれる子もいましたが、あまりにも自分本位な態度に結局呆れられ、嫌われ、無視されることが日常茶飯事でした。

 

小学校低学年の頃には「どうしてぼくはこんななんだろう。死んじゃいたい。」と口にするようになってしまいました。自己肯定感が下がり「生きていてもしかたがない」とまで考える息子を、私はただ見守るしかなく歯がゆい思いで一杯でした。

 

友達との関係は親の力ではどうにもできませんでした。友達には友達の想いもあり、息子には息子の想いがあります。そして、まだまだ自分の感情をコントロールできない年齢でもあります。

 

只々、子どもたちの成長を気長に待つしかなかったのです。勿論、大切なことは伝えなければいけません。でも、すぐに理解できることばかりではありませんでした。

 

友達関係の問題は、その後小学校高学年まで形を変えて続きました。そのうち、友達の事ばかりではなく自分の内面へも目が向くようになり、ますます自己肯定感が下がる機会が

増えていきます。

 

高学年ともなれば、子どもたちにも知恵がつきます。まだ大人でもなく、幼い子供でもない難しい年代です。この時期が息子にとって一番つらい時期だったのではないでしょうか。小学校5年生の頃には、息子の周囲には誰も友達がいなくなりました。

 

いつも独りぼっち。寂しかったと思います。見ている私もとてもとてもつらい時期でした。

けれど、ある意味ここがチャンス、とも思えました。

 

自分は自分。人は人。自分と人とは違う。今思えば、自他の区別をこの時期に身を持って学んでいたのだと思います。

 

「自分」は何が好きなのか。「自分」は何をしていると楽しいのか。「自分」はどんな事を心地よいと感じるのか。ある意味、誰にも邪魔されず、思う存分自分と向き合える日々です。

 

「自分」は楽しいと思っていたけれど、「相手」はどうだったのか。「自分」の想いを伝えるにはどういう話し方や言い方をすればうまくいくのか。それを親子で話をする機会がとても増えました。周囲にしか目が向いていない時期にはとても無理だったと思います。

 

そんな日々を長い間過ごし、いじめがあったりシカトがあったりしながらもなんとか学校には通うことが出来ました。「卒業するまで良い思い出がほとんどなかった、散々な小学校生活だった」と今でも文句を言っていますが…。

 

そんな息子から、小学校を卒業する時に手紙をもらいました。

 

 

お母さんへ。いつもたくさん話を聞いてくれてありがとう。

ぼくのために、色んなことを経験させてくれてありがとう。

ぼくが悲しまないように一生けん命考えてくれてありがとう。

お母さんがいなかったらぼくはどうなっていたかわかりません。

たくさん助けてくれて本当にありがとう。

ぼくは自分のやりたいことが見つかったから、これからも夢にむかってがんばるよ。

 

 

人のことなど興味がなく、人の感情なんてないに等しいと考えるような行動が多かった息子。そんな息子の初めての手紙でした。

 

「ありがとう」という言葉が何度も何度も使われた手紙を見て、彼なりの想いが伝わり、涙が出ました。

 

成長ってすぐには感じられないけれど、いつのまにかしてるものなんですね。そんなことを実感した嬉しい出来事でした。

 

-社会福祉士コラム
-, , ,