社会福祉士コラム

【療育体験】他愛もないことを話せる今が幸せ

障害の種別

自閉症スペクトラム

 

他愛もないことを話せる今が幸せ

幼いころから、活発で何事にも積極的で目立ち、人気もあったと思います。しかし、喜怒哀楽が激しく、気分を害すると1時間近くも全力で泣くため、吐いたり、顔面に点状出血が出ることもたびたびありました。

 

店の中で床に寝ころび、全身で暴れることも多く、また食物アレルギーで食べられないものも多かったので、保育所に入るまでは買い物に行くのが一番の苦痛でした。(子どもを見てくれる人はいなかった)

 

2人目の子どもでもあり、何となく、これは発達障害だろうと思いつつ、小学校が楽しく、夏休みが友達と会えないからつまらないと言い、本人が何も困っていない様子で、気になりつつも病院に連れていくことはできませんでした。

 

自閉症スペクトラムに関する本を読むと、小学校高学年くらいから、他の人との違いを感じ、学校に行きにくくなるとの事でしたので、そうならないようにと願っていましたが、残念ながらその通りになりました。

 

5年生の終わりから登校を渋り、6年の2学期から完全に行けなくなり、そのまま中学、高校と続きました。自閉症スペクトラムと診断されたのは6年生になってからで、もう少し早く連れていけば、違った結果になったのかとい今でも悩みます。

 

気分の落ち込み、自殺願望も強く、口を開けば「死にたい、生きていてもしょうがない」を繰り返し、1人では家に置いておくのが危険だと思われたので、私は仕事を退職して家にいることにしました。

 

しかし、「自分のせいで母が仕事を辞めた」という負い目、「学校に行けない、家にいても役にたたない」という思いを持っていたこと、思春期と重なったこともあり、親子の仲は険悪でした。

 

息子は部屋に引きこもっていることが多かったので、私が家にいる必要があるのか悩んだり、1階に降りてくるたびに私と顔を合わせることがかえって息子の負担になっているのではないかと思ったり、もんもんとする中学3年間を過ごしました。

 

中学の適応指導教室も開設されたばかりでほとんど人がおらず、先生と2人きりの時間が嫌だと数回で行かなくなりました。当時、携帯電話は持っておらず、少ない友達と会話やメールをする機会もなかったと思います。

 

ただ、勉強は続けると言っていたので、学習教材に沿って一緒に学校の勉強をしていきました。障害のせいか、自分で計画を立てて進めるということがひどく苦手で、それは本人にも自覚があり「今日はここまでやると、きめてもらった方がいい」と言うので、私が学習の計画は行いました。

 

何とか学力は維持することができ、希望の高校に入学(今までの同級生がほとんどいない高校)できました。中学校からは子どもに関する情報が高校に伝えられ、十分な配慮もされていると感じられたので、仕事に復帰したものの、やはり行き渋るようになってしまいました。高校は義務教育とは違い、出席日数が足りなければ進級も卒業もできません。

 

この頃は、特に、「すぐキレる」ことが多く、学校で何度も暴れたり「どうせ俺なん学校に来なけりゃいいとみんな思っているんだろう」などと大声を出すこともあったようです。朝は送り出しても、早退したり、どうしても学校に向かうことができなかったり。

 

「送迎すれば行けるか?」と聞くと、「行けるかもしれない」と言うので、再度仕事を辞めて送迎することにしました。成績は最低ラインでしたが、かろうじて卒業はできました。

 

高校入学と同時にスマホを持つことになりました。この頃から発達障害の子どもの集まりで友達になった子と連絡を取ることが出来るようになり、時々は外で友達と会ったりもしていたようです。

 

また、パソコンやスマホを使う中で、会ったことはないけれど良い友人もできたらしく、最近「どんなことがあっても自殺だけは絶対しないと決めた」と言ってくれました。

 

その後は、IT関連の専門学校へ入学することができました。高卒でなければ入れなかったので、心からホッとしました。小6~高3まで7年間「行きたくない」と言っていた学校に自分から向かう姿がまぶしかったです。

 

親子ともに悩んだ7年でした。学校に行くことだけが人生ではないから、フリースクールや自主的に勉強したり、やりたいことをやる道なども模索しましたが、障がいのせいか、自信のなさか、他の道を選ぶことはできないようでした。

 

色々提案する度に泣いて暴れ、家のあちこちが壊れていますが、子どもがまた同じ気持ちになった時に気づいてもらえるよう、そのまま残しています。

 

学校ではパソコンの勉強、家ではパソコンを使って友達と話したり、ゲームをしたり、絵を描いたり曲を作ったりしています。結局親の努力ではなく、パソコンという機械に救われたのかと思うと歯がゆい気持ちもありますが、これがあったおかげだと思うとありがたい限りです。

 

もうすぐ20歳になりますが、生活面ではまだまだ小学生並みです。開けたら閉める、後片付け、予定を立てる、準備する、お金の管理など、できないことが山積みですが、ひとまず心が落ち着いてくれただけでも良かったと思います。

 

まだ、すべてが解決したワケではありません。就職は障害者枠でと考えていますが、田舎では自宅から通えるところにそのような企業はほとんどないのです。

 

ただ、以前に比べれば、今がどれだけ幸せか。息子と普通に他愛もないことを話せる時が来るなんて、あの頃は思えなかったですから。

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