社会福祉士コラム

【療育体験】子どもにたくさんの事を教えられ、成長させられているなと感じています

まとめて読むにはこちら

障害の種別

広汎性発達障害

 

子どもにたくさんの事を教えられ、成長させられているなと感じています

子どもの障がいが発覚したのは乳幼児検診です。0歳の時は全く手がかからず、初めての子どもだったので育児が分からないながらも私が持っていた赤ちゃんのイメージとかけ離れていました。なんとなく疑問を感じながら、子どももそれぞれだからと思って過していましたが、乳幼児検診では毎回引っかかっていて、育児本の月齢での様子も当てはまりませんでした。

 

乳幼児検診で障がいの疑いがあるため、市の親子教室(週一回3時間程)に通うことになりました。その頃は人見知り、場所見知りが激しく、全く教室の中に入ることが出来ませんでした。

 

半年通いましたが、状況は変わらず、次は市の子ども発達支援センターへ通うことになりました。子どもが2歳半の頃でした。支援センターでも発達検査はありましたが、まだ年齢的にも小さく、言葉も出なかったので様子見という形でした。

 

その頃、生まれたときから通っている小児科の看護師さんの勧めで、発達外来を受診し、発達検査を受けて障がい名が分かりました。その後も進学の段階等で定期的に発達検査や脳波などを受けています。

 

3歳を過ぎても言葉が出なかった事、こちらの言う事も理解出来なかったので、発達面で特にコミュニケーション面でとても不安でした。またその頃には睡眠障害もあり、親子ともに常に睡眠不足でした。そしてパニックや自傷行為もあり、長い時で1時間程続くようになっていたので、怪我をさせないよう、早く落ち着けるようにととにかく必死でした。

 

当時、夫は仕事で単身赴任状態だったので、ワンオペ育児、子どもの人見知りや場所見知り等で食料品の買い物にも行けず、子どもとの外出は親子教室や支援センターのみでその他の外出すらままならなかったので、当時はとにかく大変でした。買い物は宅配スーパーやネットショッピングを利用していましたが、玄関に取りに行くだけでも子どもがパニックを起こしていたぐらいでした。

 

ですがその頃、子どもと2人で昼食を食べていて私が席を立った時、「マー。・・・マ、ンマー。」と言ってくれました。その時は突然で何が起きたのか分からない程驚きました。その言葉はママだったのか、マンマ(ご飯)の意味だったのか分かりませんが、初めて出た言葉にとにかく嬉しかったです。それまで視線も合わせるのが難しかったのですが、こちらを見てくれていたのを今でも鮮明に覚えています。

 

2歳半から支援センターに通い始めてからずっと子どもの将来の事を考え、子どもに合う幼稚園や学校を探すために色々な所の見学等を重ねて、現在小学3年生ですが、幼稚園、小学校となんとか子どもに合う場所に通うことが出来ているので良かったと思います。

 

赤ちゃんの頃、抱っこが嫌だったようで(感覚過敏)抱こうとすると嫌がり、母乳よりもミルクで抱っこなしで飲ませないといけないような子でしたが、今頃になって抱っこや膝の上に乗ってきたりしています。

 

さすがに小学生になると体重も重くなり、人目もあるのでなかなか難しいですが、抱っこが出来るので私も嬉しいです。赤ちゃんの頃に出来なかった分、今なのかなと思って今後もルールを決めて出来る範囲でしていきたいと思います。

 

見た目は小学3年生ですが、精神的にはまだまだ幼いので、好きな事や遊びなど周りのお友達とはなかなか合わないのですが、適齢期の頃には全く興味が無かった事に今興味を持ち始めていたりと、私自身もゆっくり子育てをしているような感覚です。

 

乳幼児期は私も必死過ぎて、記憶にないぐらいなので今その時期の頃の子育てを体験しているような感じでしょうか。

 

いつかは定型発達の子のように反抗期が来たり、子ども自身にも色々と悩みが出てくるのかなとも思ったりもしますが、定型発達の子とは違う視点や考えに毎回驚かされ、私自身も発見する事が多かったり、とても楽しい事も多いです。

 

障害児の育児はそれぞれに大変ですが、子どもに出会わなければ知らなかった世界も多く、大変な事、辛い事が多い分、嬉しい事や楽しい事もたくさん経験出来ると思います。親としても日々子どもにたくさんの事を教えられ、成長させられているなと感じています。

まとめて読むにはこちら

-社会福祉士コラム
-, ,