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【小説風事例紹介】注文の多い利用者Dさんと仕事のできる介護職員のXさん


1.利用者Dさん

私が特養(特別養護老人ホーム)で介護職員として勤務していた時の話です。

 

担当フロアにDさんという女性がいました。とにかく頻繁にコールを鳴らし、訪室すると「起こしてほしい」「むこうに(食堂)に行く」「布団を直して」「枕がずれてる」「今何時?」「息子を呼んでほしい」等と話します。

 

対応しても間もなくコールがあり、同じような申し出が続きます。食堂に行きたいと言われて連れて行ったとしてもすぐに居室に戻り、ベッドサイドからコール。「ベッドに寝かせて」

 

食事や行事の最中であってもお構いなしで、車椅子を漕いで部屋に戻ります。コールが鳴って行くと「横になりたい」、間もなくすると「起こしてほしい」「ご飯食べてない」「トイレに行きたい」「背中が痒い」等、一体どれだけのバリエーションがあるのかと思うほど様々な切り口でスタッフを呼ぶのです。

 

小さい体で懸命に車椅子を漕いで廊下をウロウロしている姿は非常に可愛らしく見えます。しかし、入居者・スタッフを問わず、人の姿を見つけると声をかけ、あれやこれやとお願いごとをします。

 

来客でも事情が分かっているご家族等であれば「ああ、いつものお婆さん。大変そうですね」ぐらいでスルーしてもらえるのですが、知らない方の場合、「すいません、あの人が部屋に戻りたがっているんですけど」といった感じでその都度手を止められます。

 

仮に何も言われなかったとしても、何となくDさんを無視しながら仕事しているのは見た目に良いものではなく、特に来客時は非常に気を遣います。

 

念願の息子さんが面会に来ても状況は全く変わらず、息子さんに対して息子を呼んでほしいという始末で、居室の行き来・寝たり起きたり・コールを繰り返していました。

 

現実問題、Dさんの言う通りに対応していると、スタッフが何人いても、体がいくつあっても到底対応できない状況にありました。

 

事例検討や研修会があると決まってDさんが話題に上がり、一体どうしたらよいのかという話になります。結局は「なぜそのような行動をとるのか、しっかりとアセスメントしましょう」「本人が納得するまでとことん寄り添ってみましょう」といった漠然とした或いは実現が難しい話ばかりで、たとえ実行しても一向に効果が現れませんでした。

 

皆それを承知で相談している節もあったのでしょうが、とにかく大変な状況を分かってほしいという切実な想いがあったのでしょう。Dさんに至っては、偉い先生のアドバイスも全く歯が立たなかったのです。

 

2.殺伐とした現場にXさん

Dさんはいきなり今のような状態になったのではありませんでした。体調不良でしばらく入院し、退院してから徐々に言動がおかしくなり、現在に至りました。いきなり爆発したというよりは、真綿で首を絞められるように、気が付けばDさんの言動に皆が翻弄される状況に陥っていたのです。

 

以前は忙しいなりに雰囲気が良く、仕事を早く終わらせて入居者とゆっくりする時間を確保できることもあったのですが、その時は一人がDさんに対応し、もう一人が必死でその他の業務を処理していく毎日でした。

 

Dさんの対応に追われて心身がしんどいことは勿論、現場の雰囲気は日に日に殺伐としていき、ついには退職者も出てしまいました。私はさすがに辞めようとまでは思いませんでしたが、Dさんと同じ名前の芸能人が何となく嫌いになり、仕事以外の時間でもコールが聞こえる気がするようになりました。

 

事業所の名前が土日の求人広告に毎週出るようになります。そこそこ大きめの枠を確保し、「アットホームでチームワーク抜群」「入居者と家族のように過ごせます」との呼び込み文句に加え、「急募!経験者優遇!」と書かれています。

 

そんな良い職場なら急募の必要はないだろうと思うのですが、ありのままの現状を書くことは到底できなかったのでしょう。広告を見たスタッフは一様に苦笑いしていました。 

 

そんな時、経験者の若い男性が入ってくるとの情報が入ります。人手不足の現状が打開されるのではないかとの期待感は勿論、どんな男性が来るのだろうと、女性陣はやや色めき立っていました。

 

ある日、Xさんが初出勤してきました。背が低く小太りで、お世辞にも清潔感があるとは言えない印象でした。女性陣は仲間が増えること以上の何かを期待していたようで、ややがっかりしているように見えました。

 

一方、Xさんは自己紹介で他施設での介護経験があること・祖母が大好きで、自宅で一人暮らししているのを毎日世話しに行っていること・それをきっかけに介護の道に進んだこと等を得意気に話していました。

 

部署は他に仕事がなくて仕方なく就職したようなオジサンが多く、私はイケメンでもなければ特別仕事ができるわけでもなかったのですが、幸いにも当時は若い・背が高い・素直というだけで無条件にお局マダムたちから可愛がられ、部署を取り仕切る女性上司(課長)も例外ではありませんでした。

 

Xさんは私と同い年で、通算のキャリアも私と同じようなものでしたが、他施設での経験があることに非常に優越感があるようでした。Xさんは露骨に私をライバル視していたようで、周囲も何となく気付いており「ライバルとの関係はどう?」等と冷やかされました。

 

3.続発する事故

Xさんの日中の仕事ペースはそれなりでしたが、ご家族をはじめとする外部の対応に長けており、評判は悪くありませんでした。何故か夜勤は非常に仕事が早く、皆がドタバタで朝を迎えるのに対し、Xさんの場合は早出が来る頃には朝食準備や記録もバッチリ。スタッフの間でXさんの夜勤明けは当たりとまで言われるようになりました。

 

しかし、Xさんからは人から注目されたい・評価されたいという思惑が透けて見えており、「夜勤明けがラクな人」というだけで、どちらかと言えば孤立し始めていました。

 

Dさんの行動は相変わらずで、それが原因なのか分かりませんが、本人は勿論、他の入居者の事故報告が続出しました。種類は原因不明の内出血やベッドからの転落等が多く、見守りがきっちりできていれば防げたのではないかという性質のものがほとんどでした。

 

報告の上がっている入居者は全員が重度の認知症で、行動が予測できない・適切に経過を説明できない人ばかりでした。

 

Dさんは基本的に自分のことだけで他者は眼中になく、ましてや危害を及ぼすことは到底考えられませんでしたが、彼女の言動があるから見守りができない・諸悪の根源はDさんではないかと言わんばかりの不穏な空気が流れていました。課長はご家族への事故報告等に日々追われていました。

 

Dのことは主治医に相談して安定剤や睡眠薬を服用することになりましたが全く効果がなく、1時間ほどの居眠りでほぼ夜通し起きているようなこともあり、先生が驚いたほどでした。

 

通常、事故報告書の再発防止策には具体性のある対応策を書かなければならないのですが、「他の入居者の対応が大変で対応できない」「スタッフの数が足りないのでできない」「現場の実情を分かって下さい」等、感情的に日頃の恨み辛みを書くコーナーになってしまっており、事故報告書の書き方についての研修会が開催される始末でした。

 

施設長に本気でDさんの退所を直訴するスタッフも現れましたが、受け入れられませんでした。

 

最後の切り札として、息子さんに協力を呼びかけました。申し訳ないという気持ちが強かったのか毎日のように面会に来てくれましたが、Dさんは追い打ちをかけるように「あんた誰や?」と話すようになり、息子さんが体調を崩してします。余計な(心理的な意味での)怪我人を増やしてしまいうだけの結果になってしまいました。

 

一体どうすればよいのか・・・答えの出ないまま日々が過ぎ、事故はどんどん増えていきました。

 

4.拘束

その日はXさんとのペアでしたが、事務所に課長がいたためか、彼は俄然張り切っていました。しかし、一本の電話が鳴って呼び出され、少し話した後に血相を変えて早退してしまいました。電話はXさんのお母さんからで、お祖母さんが危篤状態にあるとのことでした。

 

取り残された私が一人で右往左往している最中、フロアに悪臭が立ち込めてきました。ある入居者の下痢便が爆発しており、大惨事になっていました。事務所で仕事をしていた課長が察知してヘルプに来てくれました。よりによって、介護拒否の強い入居者の後始末。便まみれになった手で繰り出されるパンチをボクサーの如く避けながら、二人がかりで何とか処理します。

 

事態が収束し「そういえばDさん鳴らないね」と課長が言います。Dさんはいつもであれば、何故今なのかというタイミングでコールを押す達人です。鳴らないに越したことはないですが、無ければ無いで違和感を覚えます。居室に近付くとDさんの声が聞こえますが、やけに小さいのです。

 

入室するとDさんは手足をタオルで縛られており、口に猿ぐつわをされていました。コールを押そうにも、押せるはずもありません。

 

さすがにマズいと思い、課長に報告に向かいます。正直、日頃Dさんに振り回されている事情もあり、可哀想だとか怒りを覚えるというよりは、自分だと思われたら困るという気持ちが先でした。色々な意味で恐ろしい話です。

 

課長はポロシャツに便が付いた等とブツブツ言いながら、事務所の洗面所で念入りに手の消毒をしていました。他のスタッフは誰もおらず、Dさんの状態を伝えます。

 

慌てて居室に向かい、まずDさんを解放します。「最後の対応したのって誰?」と課長が尋ねます。知っていて聞かれた気がしましたが、「多分・・・Xさんだと思います」と答えます。

 

Dさんは大声であれこれと汚い言葉を吐いており、いつもならイラッとしているところですが、さすがの事態に耳に入ってきませんでした。

 

記録を見ると、Xさんの字で「部屋で休みたいと仰ったので、ベッドに横になっていた頂き、何かあればいつでも呼んで下さいねとお伝えしました」と書かれています。なるほど、言われた通りDさんは何かあって、スタッフを呼んでいたのです。

 

しばらく経ってからXさんから施設に連絡が入り、課長が対応しています。「うん・・・そう、分かった。こっちは何とかするから」

 

お祖母さんが亡くなったそうです。状況が状況なだけに、何も言えなかったのでしょう。Xさんは5日ほど休むとのことでした。

 

5.真相究明

数日後、Xさんが大袈裟な菓子折りを持って、神妙な面持ちで出勤してきました。大好きなお祖母さんが亡くなったことや皆に迷惑をかけてしまったこと等、感情を込めて朝礼で話しました。課長はいつになく緊張した面持ちでした。

 

担務は事前に決まっており、Xさんもメンバーに入っていたのですが、課長が「Xさんは今日はフリー、その分は他のスタッフでフォローして下さい」と指示を出しました。事情を知らないスタッフは、感傷中を察しての配慮だろうが、困ったなあといった表情でした。

 

朝礼後すぐに課長とXさんが応接室に消えていきました。ドアに「対応中」の札がかかります。途中、施設長等のお偉い様方も入って行き、そのまま出てきません。

 

朝礼後に入室し、皆が出てきたのが昼食前でしたので、濃密な話し合いだったのでしょう。時間的なものは勿論、それなりの内容だったのか、各々が何とも言えない表情で応接室から出てきました。Xさんはその日も早退し、以降の担務から外れていました。

 

その次の日、緊急会議の招集がかかりました。夜勤明け、休みのスタッフを含めて全員出席するようにと、かなり強制力のある招集でした。冒頭で施設長から招集趣旨の話があったのですが、何を言いたいのかよく分からず、耐え兼ねた課長が口を開きました。「特養で虐待がありました。今日はその報告と対応策の検討です」

 

そもそも課長以外は誰も話しておらず、これ以上静かになりようがない状況でしたが、より深く静かになり、緊張感が走った気がしました。課長の口から、真実が語られます。

 

Dさんを拘束したのはXさん。事件当日、Xさんはある程度の目途がついた時点でDさんを解放しようと思っていたが、お祖母さんが危篤との連絡が入り、肝心の「仕事」を忘れ、慌てて早退してしまった。

 

続発していた事故の多くはXさんの手によるもの。不自然なアザは争ったか或いは拘束の最中にできたもの。ベッドからの転落は意図的なもので、下に寝かしておけば動いて転落することもないし、自分で立ち上がることはできないだろうとの考え。夜勤明けの妙な仕事の早さ、秘訣は諸々の拘束にあったのです。

 

報告のほとんどがXさんによるものでしたが、上層部は「Xさんは今まで出てこなかった些細な事故でも報告書を提出しており、気付きがあるのではないか」と評価していましたが、何とも浅はかな考えだったと反省している。

 

事故から報告までの一連の流れはDさんの自作自演だった。手のかかる入居者が動かなければ仕事が早くできるし、こまめに報告を上げれば評価も上がるのではないかと期待していた。

 

あまりにもリアルな報告に、隣席のスタッフが唾を飲み込む音が聞こえます。途中、施設長が課長に「もういいんじゃないか」と言わんばかりに目配せをしましたが、課長は淡々と最期まで話し終えました。

 

「Xさんは退職となった。心機一転、再びスタッフが一丸となってやり直してほしい」と会議が締めくくられました。

 

6.その後の話

休憩中の話題はXさんに独占されました。普段の言動から、スタッフ皆がXさんの「人から注目されたい・評価されたい」ことに対する異常なまでの執着を感じとっていたようです。

 

単なる噂話に過ぎませんが、業界で顔の広いオバサンのリサーチによると、Xさんは他の市でも同様の事件を起こし、事業所を転々としていたそうです。お祖母さんが大好きだったというのは本当だで、どこの事業所でもテキパキと仕事を終わらせて定時で退勤し、献身的に介護をしていたようです。

 

しばらく経ってから、役所関係と思しき数名が頻繁に出入りし始め、大量の個人記録を持って事務所と応接室の行き来を繰り返し、施設長と課長たちも慌ただしく対応していました。

 

仕事中に代わる代わるランダムにスタッフが呼び出され、特に手を焼いている入居者はいないか・仕事で困っていることはないか等を聞かれました。

 

その後は終業後に何度か研修に参加させられ、高齢者虐待等について講義を受けました。概ね常識的な道徳の範囲内で分かるような話でした。

 

今考えれば、自主的に施設内での虐待として行政に報告し、監査か何かを受けていたのでしょう。隠蔽が横行する中、事態がより重大化することを思えば賢明な選択だったのかもしれません。

 

間もなくDさんは他の施設に転居しました。息子さんは「これ以上皆さんに迷惑をかけられないので、引越することにします。本当に有難うございました」と丁寧に挨拶して下さいましたが、それは表面的な話だったような気がします。

 

DさんもXさんもいなくなり、平和な毎日を取り戻しました。一件落着ですが、それがハッピーエンドなのかと問われると、返答に躊躇してしまいます。

 

虐待の理解・スタッフ間の連携・適切なアセスメント等、それらが非常に重要かつ不可欠であることは否定の余地がありませんし、決して虐待を容認する立場でもありません。

 

しかし、Dさんを一例に、それだけでは完全に解決できない問題が現実に存在したのです。加えて、人手不足が深刻化し、経歴等を十分に調査できない或いは多少の問題があっても採用せざるを得ない・素行に問題があっても、辞められたら困るので強く注意できない等の問題があったことも事実だったのです。

 

7.悪者は誰だ?!

会議では、今後どうしていくかという対策が十分に検討され、「虐待防止委員会」が発足されました。定期的に検討会が開催されて会報も発行されるようになり、事業所としての禊を済ませて新しいスタートを切ったのです。

 

私を含むスタッフは皆安堵し、以前のように雰囲気の良いフロアに戻りました。事件のインパクトはは段々と薄くなり、Dさんをはじめとする被害に遭った入居者の身を案じるような話はほとんどなく、そのことに対して違和感や異議を唱えたり、薄情なのではないかと罪悪感を持っている様子の者は誰一人いませんでした。「これが現実なんだな」「机上の空論ではどうしようもないことがあるんだな」と実感しました。

 

このような事態が起こると、まず悪者は誰だという話になります。大好きなお祖母さんが同じ目に遭っていたら、どんな気持ちになるだろうか。Dさんはそれを考える道徳心や判断力さえない卑劣な人間、鬼畜の所業。今回の件で言えば悪者はXさんということになりそうですが、それを確定したところで根本は解決するのでしょうか。

 

Xさんが異常者だと片づけてしまうのは簡単ですが、それだけではない、様々な要素が絡み合って起こったものではないか。さらに言えば、一歩間違えれば誰しもが間違えば加害者になっていたかもしれない状況にあったのではないかと思うのです。

 

これは私個人や勤めていた施設だけの話ではなく業界全体の話で、付け焼き刃の対策、意識の変革だけでどうこうできる問題ではないのかもしれません。対策はあれこれ議論されていますが、未だに決定的な解決策が見つかっていないというのが実情ではないでしょうか。

 

高齢者や障がい者施設での虐待や残虐な事件がニュースでよく取り上げられています。どう考えても加害者に問題があるケースでは本人の過去や法人の内情やを暴露して吊し上げているだけのことが多いですが、現場の苦しい実態に目を向け、タブー視されている部分に一歩踏み込んで、良い意味で問題提起がなされるようになってきていると感じることもあります。

 

志高く入職したにもかかわらず、現実の波に揉まれて初心を忘れてしまった人を何人も見てきました。傍観者のように語っている私も、その一人なのかもしれません。

 

一方、どんなことがあっても仕事に誇りを持ち、日々頑張っている人もたくさんいます。また、幾つもの心温まるエピソードが生まれているのも事実です。

 

今回は人格を疑われるかもしれない、思想的かつダークな話になってしまいました。嫌悪感や怒りを覚える方もいらっしゃるかもしれませんが、私が実際に経験し、感じたことなのです。

 

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