社会福祉士に興味がある方に読んでもらいたい1冊です。本HPで連載していた事例を紹介しています。施設相談員がメインの事例となっており、介護福祉士と何が違うのか、どんなことをするのかよくわかると思います。小説風に書かれているので読みやすいかと思います。
1929年 救護法
この制度のポイント
・救護法は、恤救規則と比較して、救護の対象、救護の種類を広げました。
・救護法は救貧を国の責務としている。
⇒でも救護の請求権は認めていません
なぜこの制度ができたのか
この時代は、第一次世界大戦後の不況、関東大震災、金融恐慌など、国民生活に打撃を与える経済状況が相次ぎました。それによって引き起こされる社会問題は明治初期の恤救規則で対処できないことが明らかとなったため恤救規則に代わって1929年に救護法が制定されました。
しかし、施行については、付帯決議として30年度から施行となっていましたが、財政難(昭和恐慌、世界恐慌の時期と重なる)などを理由に延期されてしまいます。
そのため、方面委員・社会事業関係者は実施促進運動を展開し、1932年にようやく実施されました。
この救護法施行のための実施促進運動は、国内で成果を出したソーシャルアクションの一例です。
実施促進運動には方面委員が強く関わっていました。
また、その時の中央社会事業協会の会長であった渋沢栄一は、病に侵されながらも法案の実施を訴え続けていましたが、残念ながら救護法の施行の2ヶ月前に他界されてしまいました。
どんな制度だったのか
救護法は、恤救規則と比較して、救護の対象、救護の種類を広げました。
対象は、対象は65歳以上の老衰者、13歳以下の幼者、妊産婦、障害者としました。
救護の種類は生活扶助、医療、助産および生業扶助の4種としました。
しかし、恤救規則と同様に、労働力のある貧民は救護の対象外とされました。
恤救規則との違いは、救護法においては救貧を国の責務としていることです。
また、救護の対象を広げ、救護の種類を広げた点も大きな変化と言えます。
しかし、救護を受けることを権利として認められていませんでしたし、被救護者は選挙権が剥奪されました。
結局恤救規則の延長ではないかという批判は多かった様です。
しかし、上記のような点から恤救規則よりは近代的な公的扶助制度に近づいたと考えられます。
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