社会福祉士コラム

【小説風事例紹介】Kさんが望む当たり前の環境とは?家族に囲まれた幸せな最期を過ごしたKさん

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1.明朗活発なおばあちゃん

私が認知症対応型の通所介護(デイサービス)にて生活相談員兼介護職として働いていた頃の話です。Kさんは月曜日から金曜日は私が所属していたデイサービスへ来所され、土曜日、日曜日は別のデイサービスを利用していました。

 

Kさんは在宅からの利用で、毎日Kさん宅の玄関前で、長女様やお孫様が必ず寄り添いデイサービスに来ていました。玄関にはKさんが作られた手工芸作品などが飾られ、御家族もKさんを本当に大切にしていたと感じます。そして、元々ご主人と魚屋を経営していた事から地域の方からも「Kさん今日も元気そうだね」などの声を掛けられることも多くありました。

 

しかし、Kさんは重度の認知症と複数回の脳梗塞から、そのような言葉かけにも相手を認識する事はあまりできません。それでも昔からのお客さんなのだろうと認識しているようで、言葉が出づらいながらも大きな笑い声と共に受け答えをしていました。

 

デイサービスの利用をしている時にもKさんはいつも笑いの中心にいました。同じテーブルの皆さんと大きな笑い声で話をしたり、レクリエーションや体操でも立位が不安定ながらも一生懸命行われ「はぁ、3日分は動いた」と大笑いされながらも毎回楽しんで参加していました。また、そんなKさんだった事もあり周囲の方もKさんの笑い声につられるように笑いの絶えないデイサービスでした。

 

御家族やケアマネジャーにもその内容を伝えるといつも喜んで「Kさんもそちらのデイサービスに行くのを楽しみにしているんですよ」と話してくれました。私たち職員もそんなKさんが来られる事を楽しみにしていました。

 

2.度重なる転倒と頭痛

Kさんはデイサービス利用にあたって、介護職の男女問わず大きな拒否もなく、入浴や排泄介助に対してもスムーズに順応していました。ADLもふらつきや立位不安定はあるものの寄り添い介助で自立にて行えるといった内容です。

 

ある金曜日に「Kさんまた来週お待ちしていますよ」と声をかけると「今日は金曜日かね」とボソッと話され暗い表情を見せた気がしました。その時は特に気にかける事もなく送迎を行ったのですが、翌週月曜日の送迎に伺った際に右目の上に大きなたん瘤を作り痛々しい顔立ちのKさんがいました。

 

私は驚き「どうされたんですか」とご家族に聞くと、土曜日と日曜日に利用しているデイサービスで勝手に施設外に出てしまい、玄関先のスロープで転倒されたとのことでした。

 

私のいるデイサービスでもおもむろに立ち上がられることはあります。「どうされましたか?」と問いかけると「トイレ」「娘が待ってる」などの発語はありましたが、誘導にてトイレに行ったり、帰宅の時間を伝えると納得されるなどしていたので、不穏になり施設の外まで出るといった行為はありませんでした。

 

その日のKさんはいつものような活発さはなく、机にうつ伏せになっている時間が多く見られました。「調子が悪いですか?」と声掛けすると「今日はいけんね」と話され、またうつ伏せになるといった様子でした。

 

Kさんは過去に何度か脳梗塞をされていることから、頭痛の訴えに対しては私たちもシビアに観察するようにしていました。私は看護師に相談し、御家族とケアマネジャーに早期の受診を依頼しました。

 

私のスタンスもそうですが、御家族にもケアマネジャーにもKさんが90歳であることを踏まえて、同じ謝るのであれば手遅れになって謝るよりも何もなかったのに受診をさせ、手を煩わせたことに謝りたいといった内容を伝えていたからです。頭部を打っていたことも主治医へのサマリーに記入するように看護師に依頼しました。

 

受診の結果、脳梗塞ではありませんでした。脳のCT等を撮っていただいた結果としては脳の細い血管に梗塞は見られるが、新しいものではなく過去の脳梗塞からの後遺症であり、新しいものではなく脳挫傷等の可能性もないとのことでした。

 

3.サービス利用の変更と安定

御家族、ケアマネジャー、私の三者で協議をしていると、Kさんはあまり土曜日、日曜日に利用されているデイサービスがあまり好きではないのではないかとの結論にたどり着きました。

 

それは、これまでにもそのデイサービスを利用している時に不穏になられ、大きな事故ではないが、しりもちをつかれるなどの事故があったとのことでした。利用の報告も私のデイサービスとは反対で「今日はこのような不穏・不潔行為・介護拒否がありました」などの私の知るKさんからは考えにくい内容のものが多く見られました。

 

しかし、環境変化が認知症症状の進行に繋がってしまうのではないかとの想いからデイサービスの変更には至っていなかったとの内容でした。そのデイサービスでの過ごし方を聞いてみたいとも思いましたが、会社が異なることなどからあまり口出しする事も出来ずにいました。

 

御家族からは「あなたの所のデイサービスが週末もやっていたら全部そちらにするんだけどね」とありがたい言葉をいただきましたが、Kさん1人の利用の為に事業所の利用曜日を増やすほどの権限は私にはありません。

 

しかし、会社の系列で週末もサービス提供を行っているデイサービスがありました。私は同僚との食事会の時に、そのデイサービス管理者のSさんに週末の稼働率について聞きました。Sさんは私が相談員業務に携わる前に介護職として一緒に働いていたこともあり、Sさんの所のデイサービスの雰囲気も知っていたため、Kさんにはかなり適した雰囲気なのではないかと思いました。

 

デイサービス稼働率からすればKさんの受け入れは可能でした。私はケアマネジャーに連絡を行い、一度体験デイサービスで利用してみないかと依頼してみました。同じ会社であれば平日の様子や週末の様子の情報共有も行いやすいとも思いました。

 

私はSさんのデイサービス体験利用の日程を聞き、ケアマネジャーや御家族同意を取り、体験中のKさんの様子を見に行かせていただくことにしました。Kさんはいつもとは違う環境に戸惑いながらも介護職からの声掛けに笑顔を見せていました。

 

そのデイサービスには、いつも平日にKさんと一緒にデイサービスを利用されているご利用者様も数名いたことから、私はSさんに「あの人といつも楽しそうに話しをされてるよ」などの普段の様子を伝えると、Sさんはすぐに同じテーブルに移動させてくれるなど臨機応変に対応してくれました。

 

帰宅時にKさんが「楽しかったよ」と言ってくださるだろうと私は確信していました。しかし、そうではありませんでした。私が様子を見に行って数週間が経った頃、KさんはSさんのデイサービスでも離施設までは行かなかったが、強い帰宅願望を見せられたそうです。

 

私はケアマネジャーと御家族の許可を得てSさんからもその日の詳しい様子を聞きました。Sさんと話をする中で、私のデイサービスとSさんのデイサービスでの言動の違いなどを事細かく話し合いました。

 

そしてSさんからは「多分Kさんは週末、お孫さんが気になってるんじゃないかな」「帰宅願望の理由が全部お孫さんの内容だったよ」と話されました。私たちのデイサービスではお孫様の話をされることはあっても、「孫がいるから帰る」を話されることはありませんでした。

 

私は、Sさんとの話の内容を御家族に聞くことにしました。御家族からはKさんが土日にデイサービスに通う前の話を聞くことができました。

 

「お母さんは私たち夫婦が仕事に出ている週末は必ず、お母さんの家で子どもの面倒を見ていてくれました。平日は、子どもたちは学童に行っていたからお母さんの家には行っていなかったけど、週末はお母さんの家で過ごしていました」と教えてくれました。

 

御家族、ケアマネジャーとの話を進める中で、再度Kさんの気持ちを聞くことも試みましたがKさんは重度の認知症です。質問に対して正しく返答するということは困難でした。

 

私たちが協議を進める中で、週末はKさんの自宅で過ごし、決まった時間帯に訪問介護の利用をしていただき、それ以外の時間は御家族と共に過ごすという方法にたどり着きました。やってみなければ答えは出ないという方が、正しい言い回しかもしれません。

 

結果として、やはりKさんは週末を御家族と過ごす様になったことで、とても安定されたとの事でした。

 

4.環境と思い、家族との対話

高齢者にとっての環境変化は認知症の進行を速めてしまうことは私を含め、ケアマネジャー、御家族も当然のこととして考えていました。しかし、私たちが考える当たり前とKさんの考える当たり前を同じものとして扱うことは間違っていたと改めて感じました。

 

私たちは月曜日から日曜日までのサイクルをいかにして崩さないかを考えていましたが、Kさんの中では介護度が上がる前までの月曜日から金曜日はデイサービスに行き、週末はお孫さんの面倒を見ながら家族に囲まれた生活という内容が当たり前の環境だったようです。

 

認知症の進行と共に徘徊があり、週末のデイサービス利用をしていただく事自体が、彼女にとっての大きな環境変化だったようです。また、Kさんの中ではお孫さんと一緒に過ごすことが社会的な役割であったのかもしれません。私たちがよかれと思ってサービス提供をしたことが、Kさんにとっては不安になってしまうことも改めて考えなければならないと感じました。

 

週末だけとはいえKさんが家にいるということは御家族にとっても家にいなければならないため、御家族にとっても心身の負担になってしまうかもしれません。お孫さんからすれば更に迷惑な話しだったかもしれない。高校生のお孫さんが遊びに行きたいのを我慢して、おばあちゃんが面倒をみてくれているのではなく、おばあちゃんの面倒を見なければならない、と捉えられても仕方ないからです。

 

しかし、御家族はKさんが認知症になってもお孫さんの様子を気にしていること、娘夫婦の仕事を気にしているかもしれないことを嬉しく思われたようです。御家族の中では、いつ家族を認識できなくなっても不思議ではないという覚悟の方が先行していたようです。

 

そして、お孫さんも私の心配をよそに、「昔から自分たちをかわいがってくれていたおばあちゃんのためならいいよ」とお孫さんが首を縦に振ってくれたそうです。Kさんが娘を思いやる、孫を気にすることができるという事自体が御家族にとっては喜びだったようです。

 

5.Kさんとの別れ

Kさんが週末を自宅で過ごす日々が続いて半年が経ちました。Kさんが週末を自宅で過ごされるようになり半年の間にも様々なことがありました。孫にご飯を作らないといけないと自身で動かれ、軽い転倒やお皿を割ってしまったこと、小さい段差につまずいてしまったことなど、まったく何もない週末は少なかったと思います。ですが、御家族からはおばあちゃんとの大切な時間、おばあちゃんができることを大切にしていました。

 

私たちにできることと言えば送迎の際に「こういう時には私たちはこうしてますよ」と伝えることくらいでした。実際にベッドからポータブルトイレに座りかえる介助をお孫さんに教えたこともありました。

 

そんなKさんに対して私も大きな思い入れを持ってしまっていましたが、私は別事業所に異動する事になりました。後任にもKさんの御家族との連携や関係性などを伝え、御家族にも後任に不安を伝えられる環境を作ってからの異動でしたが、やはり心残りはありました。

 

しかし、社会人としては致し方ありません。そして後任は私よりも介護経験が豊富な方だったため、少し安心していました。

 

私はそれから新しい事業所の仕事に打ち込んでいましたが、やはり送迎等でご近所を通る事もありKさんは元気にされているだろうかと気にかかっていました。

 

私が新しい事業所に行き8カ月が経過した頃、私も新しい環境になれてきていました。ある日、新規のご利用者様の担当者会議に行くことになり居宅への訪問を行いました。担当のケアマネジャーはKさんのケアマネジャーでした。

 

お互いに利用者情報については守秘義務もあるため、聞くことは御法度という事もあり、Kさんの近況を聞くことはできないだろうと思っていました。担当者会議前にケアマネジャーと合流しましたが、やはりKさんの話題ではなく担当者会議のご利用者様の話題のみでした。

 

しかし、担当者会議が終わりケアマネジャーより少し時間をもらえるかと話され、私は居宅事務所まで同行しました。そこでKさんが居宅で亡くなられたと聞きました。ケアマネジャーも本来は亡くなられたなどの情報はあまり伝えないが、御家族からの要望で、私たちによくしてもらえたので、あった時でいいから伝えてほしいと言われていたとのことでした。

 

Kさんが亡くなって1週間後のことでした。私は会社に相談し、お線香をあげに伺ってもいいとの許可を得ました。Kさんの家に伺うのに気が重たくなったのは初めてでした。

 

6.家族の想い

私は夕食の時間に被らないように土曜日の15時頃に訪問しました。すると、Kさんの自宅から出てこられたのはお孫さんでした。事前に連絡を入れていたことから待ってくださっていたようでした。

 

Kさんのご自宅にあがり、お線香をあげました。遺影に私は覚えがありました。私がデイサービス送迎の際に撮影したKさんの誕生日の写真でした。お孫さんからの誕生日プレゼントでもらった帽子をかぶり、家族で撮影されたものだったのでよく覚えていました。

 

御家族の方に座り直し、私が異動してからのKさんの様子を聞いていると、娘様夫婦も来られ、詳しく話を聞くことができました。私の後任もKさんに対して手厚い支援を行ってくれていたようで、まずは御家族から温かい言葉をいただきました。

 

Kさんはあまり苦しむ事もなく逝去されたようでした。そして、亡くなられた当日にもお孫さんに「あんたぁ、お母さんが心配するから帰りなさい」と優しく声をかけ、いつものように夕食を娘様と食べられ就寝し、翌朝にはベッドの上で眠っているように亡くなっておられたとのことでした。

 

死因も老衰との事でしたが、あまりにも安らかな死に顔だった事から、御家族はまだ受け入れきれていないように感じました。

 

御家族から私に伝えてほしいと話された理由を教えていただきました。

 

Kさんが週末に利用していたデイサービスで、転倒や徘徊をしていた時、娘様夫婦は施設の入所も検討していたようでした。お孫さんの大学受験もあり、娘様夫婦はKさんの事も大切だが子どもの勉強に差し支えてしまうのではないかと心配もしていたようでした。

 

しかし、私たちが伝えた話や母への想いなどから働き方を変えて、週末は一緒にいようかと話していたと教えてくれました。

 

やはり、私たちの知らない場所で御家族の悩みや葛藤があったようです。

 

そして改めて「あの時に週末は家で家族と過ごされませんか」と提案したことに感謝されました。「大変だったけど、多分あのまま施設に入れてしまっていたら別の後悔をしていたと思います。あの時に背中を押してくれたことで私たちはお母さんとの時間を大切にできました。どっちが世話をしていたかわかりませんが、孫もおばあちゃんの事は私がすると言って週末を楽しみにするようになっていました。」と話してくれました。

 

高校2年生の頃にKさんが週末を在宅で過ごされるようになられたお孫さんですが、実は反抗期で、親子のコミュニケーションが取りにくくなっていた様でした。

 

しかし、Kさんの介護の一端を担うようになり、私たちとも何度か会話をするようにもなり、Kさんのことを話すことで親子の会話の糸口にもなっていたようです。また、さすが高校生という所でもあるのですが、ネットを活用して「おばあちゃんは歯が悪いからこういうものより、柔らかい食べ物がいいと思う」とレシピを調べて持ってきていたそうです。

 

娘様は「母は孫の反抗期まで見抜いてたんですかね。」と笑っていました。

 

お孫さんはKさんのことが大好きだったようで、私たちの送迎やポータブルトイレへの移乗などを教えていたことから福祉に興味を持ち、福祉の専門学校への進学を希望されたようです。

 

そして「最後の最後まで家庭の中心で毎日笑って過ごせたのも皆さんのおかげでした。家で最期を迎えられて母も幸せだったと思います」と話されました。

 

1時間以上話をしてしまい、思い出話や苦労された話を聞いているとKさんなら笑いながら楽しく過ごされたんだろうと想像できました。

 

実際に努力をされたり、ネットで調べたり色々な工夫をされたのは御家族であり、私たちではありません。私たちにできたのはアドバイスと見守りだけです。私たちは見送ることしかできず、痛みを代わってあげることもできません。

 

失うことは多くあり、利用者の成長を得ることは少ない仕事かもしれませんが、私はKさんと娘様、お孫さんがひと時の幸せがそこにあったのだろうと遺影の笑顔から想像し、Kさんの家を後にしました。

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