1.いつでも楽しみを探している陽気なNさん
私が障がい者多機能型サービス事業所で、就労継続B型就労支援員をしていた頃の話です。その事業所には就労継続A型・B型・生活介護・日中一時支援事業・グループホームがありました。
Nさんはグループホームで生活をしながら、就労継続B型を利用していました。Nさんは人の面倒を見るのがとても好きで、就労においてもグループホームにおいても困っている人がいたら率先して手伝ってくれる優しいご利用者様でした。
私がNさんと出会った時、Nさんは63歳でした。Nさんは元々一般企業で一般就労していた軽度の知的障害者でした。Nさんは定年まで働かれ、その後退職すると施設へと入所をされました。Nさんは障害年金と厚生年金を貰っていたことから、経済的には就労を行う必要はあまりありませんでしたが、何もせずにいるよりもみんなと楽しく何かができるほうが嬉しいという理由で、福祉的就労として就労継続B型の利用をされていました。
しかし、福祉的就労と言っても仕事の納期に追われている時などには率先して仕事をしていただきました。就労のレベルも高く、私たち支援員もNさんを頼りにしていました。
Nさんの元の人柄の良さから、Nさんの周りには常に誰かがおり、グループホームでも他のご利用者様からの相談を聞いてあげて、何度も消灯時間を過ぎても他のご利用者様の部屋にいると報告を受けていました。
2.Nさんにとっての就労
Nさんは障害年金と厚生年金で生活をやりくりしていたので、就労継続B型の1か月の工賃(2万円程度)は貯金に回していました。
頼りがいのあるNさんでしたが、1か月に22日程度働かれていても2万円程度の収入にしかなりません。就労継続B型の工賃とは私たちの考えるお給料ではありません。お給料であればアルバイトパートタイマーでも最低賃金が保証されています。しかし、工賃という考え方では1か月の事業所での売上をご利用者様で分配するという形なのです。Nさんのケースを仮に時給換算すると約150円程度でした。事業所によっては1カ月の工賃がどれだけがんばっても1万円に満たないことや、時給換算すると80円程度になってしまう事もあります。
Nさんが一般就労されていた頃は、私たちと同じ月給制でボーナスもあったと聞きました。私はNさんに「どうしてNさんは働きたいんですか?」と尋ねたことがありました。
するとNさんは満面の笑みで「楽しいから」と話してくれました。Nさんにとって就労とは労働ではなく、楽しみや生きがい、他者との繋がりなのだと私は感じました。
また、Nさんにはもう一つ楽しみがありました。Nさんは昔から旅行が趣味でした。そして、グループホームに入所されてからは半年に1回の温泉旅行に行っていました。温泉旅行と言っても他県に宿泊して行くわけではありません。
事業所から電車を乗り継いで2時間の場所に道の駅があり、そこには併設された温泉施設がありました。障がい者の療育手帳を持っているとJR料金とその温泉の入浴料は半額で利用できました。そのため、Nさんは食事代も含めて1500円の小旅行に行くことをとても楽しみにしていました。
グループホームで仲が良いご利用者様や一般就労で一緒だった方と小旅行に計画を立てていました。また、その時にグループホームのご利用者様にお土産を買って帰るのもNさんにとってはとても大きな楽しみでした。
3.Nさんの失踪
そんなNさんではありましたが、常に順風満帆な生活を送っておられた訳ではありません。ある時、Nさんのグループホーム利用料をおろすために銀行のカードを持って年金をおろしに外出しました。就労が終わった15時半から銀行に行くと言って外出していました。その光景は毎月のことであり、私たちも見慣れた光景でした。
しかし、いつもであれば16時過ぎには施設に戻って来るはずのNさんが帰って来ません。銀行まではどれだけゆっくり歩いたとしても片道15分程度でした。しかし、時々お金をおろしに行くついでに買い物に行かれることもあり、私たちはNさんの帰りを待つことにしました。
Nさんは夕食の時間になっても帰って来ませんでした。私たちは何らかのトラブルやケガがあってはいけないと思い、警察への連絡と近隣やNさんがよく行かれるスーパーなど可能性のある場所を捜索しました。
しかし、どこにもNさんの姿はありませんでした。Nさんの通帳には約10万円程度の残高があり、それ以外は別の口座に貯金されていました。Nさんは施設入所される前までは一人暮らしをしていた事もあり、金銭管理はご本人様が行われていました。
また、旅行の計画と試算ができるレベルから分かっていただけると思いますが、金銭の使用ができ、金銭管理ができる知的レベルでした。その事から、仮に失踪されたとしても食事が食べられないといった心配はありませんでした。私たちは別の心配をしていたのです。他者とのトラブルでもありません。
Nさんの失踪の経歴はこれが初めてではないからです。Nさんは一般就労をされていた頃にも何度か失踪した経歴がありました。そして、その時には私の住んでいる地域から1500キロ以上離れた青森県で発見されたのです。Nさんは北海道を目指して電車の旅に出ており、最初の所持金があるうちは旅館等に宿泊され、貯金が尽きてきてからは駅のホームで野宿をしていたとフェイスシートには記載されていました。その時は冬だったことから足の指が凍傷になり、両足の指が壊死しているのです。
私たちは、なにより先にNさんの身体的な安否が気にかかり、警察への継続的な捜索願いを出し、自分たちも捜索を行っていました。
4.Nさんの発見とストレス
Nさんはそれから3週間後に発見されました。Nさんは旅行には行っていませんでした。よく一緒に温泉旅行に行っていた一般就労の時の友人の家にいました。ご友人からの知らせがあったのではなく、近所にある昔からNさんをよく知る食堂からの連絡でした。
Nさんが入所された後も、たまに外出されたときに食事に行っていたことから、Nさんが私たちの施設に入所していることを知っていました。そして、いつもであればちゃんと支払いをされるNさんがツケにしてほしいと話されたことを不思議に思い、施設へ問い合わせてくださったのです。
私たちは、Nさんを迎えに行きましたがNさんは帰りたくないと言いました。そこにはいつもの温厚で誰に対しても優しく接していたNさんの表情はなく、とても険しい表情をしているNさんがいました。
その時、私と施設のサービス管理責任者が迎えに行っていた事から、Nさんの友人に許可をいただきNさんの想いを聞き取る事にしました。
Nさんは半年に1回の楽しみであった旅行に行かせてもらえないこと、グループホーム入所をしている中で買い物や外出に対する制限があることを話し、その生活の中で少しずつストレスを貯めていたようでした。確かに、Nさんの元々の一人暮らしと比較すれば行動制限はかなりあると思います。
共同生活を行う中で時間の制約はかなり多かったと思います。門限や食事、お風呂や買い物、買い物に行った際に一度に使える金額などNさんがそれまで自由に使う事ができていたものに制限がかかっていました。
Nさんはグループホームの人間関係などの楽しみには満足していましたが、行動に対する制限に対しては少しずつストレスを感じ蓄積されていたようでした。私たちはNさんがその時に伝えられるすべての気持ちを聞き出し、メモしました。
そして、今後のことについても話し合うため、いつまでも友人の家に居候することはできないことや、現実としてツケでなければご飯も食べる事ができなくなっていることを話し、グループホームへ帰ることになりました。
5.障害と資産
私たちは翌日からNさんについての話し合いを設ける事になりました。Nさんには身寄りもなく、家庭裁判所が選任した成年補助人にも何度か立ちあっていただきました。
ここで思い返してほしいのは、Nさんの工賃と小旅行です。約2万円程度の工賃が半年経てば12万円程度の貯蓄になります。それとは別にNさんには障害年金と厚生年金の収入があります。
障がい者福祉によくある現象ですが、所得としては私たち社会人と変わらないほどの所得なのです。Nさんは決してお金のない方ではありませんでした。
しかし、私たち障害福祉サービスに携わる支援員がよく見る事例として、年齢を重ねられたご利用者様が仮に脳梗塞などになられたとする。その時に落ちる生活レベルやADLは健常者の私たちとは比べ物にならないほど大きく落ちます。
私が目の前にしたケースでも要支援すら出ていなかった方が1つの疾病からいきなり要介護3から5が突然出てくる事例も珍しくありませんでした。
生まれ持った障がいから、リハビリテーションがうまくいかないケースもありますが、重複障害の後遺症が重く残ってしまうケースが多いからです。
私たちはそうなった時の費用負担や、そうなった後の社会的な受け皿の事までを考えて金銭管理を行っていました。
私たちはNさんが入所される際にご本人様と成年後見人を含めて、Nさんの老後についても協議していました。そしてNさんに老後に備えた貯蓄を作っていくという支援内容も組み込んでいたのです。
Nさんは入所されて400万円程度の貯蓄を作っていました。しかし60代半ばのNさんです。残りの人生を考えると十分な貯えとは言えません。
私たちはご利用者様の将来を考えた上でどの程度であれば遊びに使用していいか、どの程度であれば、そのご利用者様に何かがあった時に困らないかを常に考えなければなりません。
私はNさんの気持ちもわからないわけではありません。しかし、それを自由にさせてあげる事が将来のNさんのためにならない事も事例として経験していました。私たちはNさんを交えて再度Nさんの将来について話し合いをすることにしました。
もうひとつNさんには思い通りにならない大きな事がありました。それは、Nさんが一人暮らしをされていた頃は、友人にお金がない時には、その方の旅行費もNさんが負担していたという事です。
Nさんはグループホームに入所しているご利用者様と旅行に行きたいと話されていた時に、何度も他の方のお金も出すと話されていましたが、グループホーム内での金銭のやり取りは当然禁止事項とされています。これまでできていた事がルールで禁止されてしまう。Nさんにとっての大きな障害でした。
Nさんはその事についても今回の話し合いで声をあげました。Nさんの隣室にAさんというご利用者様がいたのですが、Nさんはその方と遊びに行きたいとよく話していました。しかし、AさんはNさんとは状況が全く違いました。
Aさんも、知的障害は軽度でしたが精神障害が強く、Nさんの様に長時間の就労を行うことはできないご利用者様だったのです。また、日によっては薬の影響で起き上がることも困難で、仕事に出ることが困難になる日もありました。
そんなAさんの工賃は高くても1か月に7千円程度でした。Aさんと一緒に旅行に行きたいがAさんには金銭的にゆとりはないのです。しかし、私たちの口からAさんの金銭事情を伝える事などできません。
お金を貸すということとは、貸したNさんだけでなく、借りたAさんもここを出ていかなければならなくなる理由になってしまうと説明するしかありませんでした。
Nさんはそのことには渋々納得してくれましたが、今後のお金の使い方と貯金の方法についても何度も話し合いました。
しかし、決定したはずのことが翌朝になると180度違っていたり、私たちに話した内容と全く異なる話を後見人に伝えられることもありました。
Nさんの中での葛藤ももちろんあったのだと思います。悩んでいるからこそ話される内容が一転二転していたのだと思います。Nさんの就労がない日を選んで再度面談を行うことにしました。
6.Nさんの喜びと楽しみ
私は利用者と面談を行う際に、よく挿絵付きの紙を使って面談と説明を行うようにしています。
簡単に言えば紙芝居に近い、文字の少ない漫画のストーリーを想像していただけるとわかりやすいと思います。
私はNさんが自分の選ぶ将来としてお金を使用し続けた場合と、少しずつ細く長く遊びに行く二つのストーリーを作りました。私はそれまでのNさんとのやり取りでNさんが求めていた要望はわかっています。そしてNさんに判断能力があることも私はわかっています。
Nさんが誰かと遊びに行くことができる喜びと、人と関わり続ける楽しみのために、私たちが何をNさんに提案しているのかを再度伝えようと思いました。
しかし、私はNさんに強制するつもりはありませんでした。私の人生ではなく、Nさんが人生の何に対して喜びを得るのかはNさんが最後に答えを出すべきと思います。私はどちらの道を選んでもNさんにとっての楽しみを描きました。
そして、私は第3の結論も用意していました。Nさんが感じるストレスの軽減と、楽しみとしている他者との交流の機会を増やして、リフレッシュできる方法を考えていました。
私はこの頃、サービス管理責任者になっていたことから、就労支援員とグループホームの世話人とも話し合う事ができました。
そしてNさんの収支のバランスを再検討することもできました。私は毎月の貯蓄を2千円だけ減らす譲歩案を作成していました。
Nさんが友人と毎月のお小遣いとは別に、毎週日曜日の昼食を外食できるように提案しました。グループホームの昼食代は350円です。毎週日曜日に外食することで、月に4、5回の昼食を欠食することになり、1,400円、1,750円の余裕が出来ます。そこに2,000円を足すことを考えました。そうすることで、毎週日曜日に750円から850円のランチを食べることができるプランを提示したのです。
しかし、制限はもちろんあります。この計画を立てる際に外出することで再び失踪してしまう可能性も指摘されたからです。私たちは就労支援や生活介護がない日は、支援員1名と世話人1名で27名のご利用者様を担当しなければなりません。週末の日中一時支援があるとしても限られた人数の中で支援を行っています。その中でNさんが外出して失踪してしまえばおそらく対応は困難であるという意見があがったのです。
私たちはリスクを考えた中で2人の協力者を得ることができました。Nさんが失踪した時にツケを快く引き受けてくださった定食屋の店主とNさんを泊めてくれていた元同僚です。私はNさんが友人の家に到着されたら電話連絡を行うこと、定食屋のご主人に事前に料金を支払う代わりに来店がなかったときは必ず連絡をしていただくという協力を得ました。
Nさんはこの第3の選択肢を選んでくださいました。
7.Nさんの生き方
この支援方法は支援員の中でも賛否が分かれました。失踪してしまったNさんに対して行動の制約どころか行動範囲を広める事は再発を誘引するのではないかという心配からです。
しかし、行動制限や罰則を設けたところで新たにストレスを生み出してしまい再発してしまうのではないかという賛成の意見もありました。
Nさんは失踪から戻られた際にこれまで通りの貯蓄をするのか、金銭の使用方法を緩めて自由を得るのかの選択を迫られていました。
私は、この両極端な選択を迫られた時に決断しかねていたNさんを見て、貯蓄の必要性も理解できているからこそ悩んでいる。理解できているからこそ答えを出せないでいると感じました。
私たちはこの仕事に携わる中で0か10かの両極端な選択を迫られるご利用者様をよく見かけます。しかし、私は3や7があってもいいのではないかと思います。また、一度こうすると決めたとしても途中で変わってもいいとも思います。
それは私たち健常者と呼ばれる人も同じだと思うからです。受験があるから遊ばないと決めた受験生でも時には息抜きをしないだろうか。禁酒している人がたまのご褒美と言って居酒屋に行かないだろうか。食事制限を受けている方が、数値がよくなったからと少し制限を緩めないだろうか。
彼らの人生を0か10かの2択で決めてしまうのではなく、彼らの選択肢を増やしてあげることも安定を促す方法の一つだと私は思います。
Nさんは日曜日に出かけるという選択を選ぶことでグループホーム入所後の断たれていた社会とのつながりを回復させることができました。
Nさんはランチから戻られた時に「今日はこんな話をした。次はなにを食べよう」ととてもうれしそうに話してくれるようになりました。
また、「グループホームのAさんを誘いたい。今度の日曜日はそこの定食屋ではなく近くにあるフードコートで食べてみたい」などの気持ちを伝える事もできるようになりました。
私はNさんのケースを通じて、NさんのNさんらしい喜びの実現させることは自己選択や自己決定だけでなく、まずはNさんが自己決定に至るまでの選択肢をしっかりと洗い出すこととNさんが我慢するだけでなく、自分の想いを伝えることに重要なポイントがあったと感じました。
Nさんは心を開くことでその大切さを学び、私たちとの更なる人間関係の構築し、自己実現をしていくための方法を身に着けられました。
そして、私たちはNさんがグループホームにいる限り、Nさんが将来的に困らない貯蓄を守りながらも社会とのつながりを守っていくことになりました。
NさんのNさんらしい生き方は再び変わってしまうかもしれません。しかし、その時に制限を設けるのではなく可能性の追求をしていきたいと思います。