社会福祉士コラム

【療育体験】発達障害を持つ我が子。毎日少しずつの「出来る」を増やすことが大切。

 

次男が発達に遅れがあると指摘されたのは、3歳の頃に通っていた保育園で言われました。何となくは、そうかも知れない。と私は思っていましたが、まだ幼少でもあるし、個人差はあるから様子を見ていよう。と思っていました。

 

 私が、次男を障害があるかも知れないと思ったのは、通常、1歳に近くなるとつかまり立ちをして歩き始めますが、次男は、2歳の誕生日前にやっとつかまり立ちをして、歩き始めました。

 

この時点で、本来なら1年の遅れが出ていたのですが、身内も健診の時も個人差という事で、何処に相談する事も無く過ごしてしまいました。

 

 

障害を持つ次男が1番苦労したのだと思います。

 

小学生時代から、勉強は追い付かず、苦手意識や勉強に興味が無い事もあり、毎日、一緒に付いて宿題をしたりしました。 市役所に相談に行きましたが、たらい回しにされた挙げ句、違う機関を紹介されただけでした。

 

そこでは、障害のレベル等を調べて貰い結果、5年の遅れがあると言われました。当時、次男が10歳の時でした。その後、市役所でその事を伝えに行っても、そのレベルでは何の支援も出来ない。手帳も発行出来ない。と冷たくあしらわれました。

 

中学時代には、理解の無い先生や同級生に酷いイジメを受け、次男は私に、「もう、死にたい。」と、言った事もありました。

 

結局、中学時代は学校に通う事も無く、自宅で勉強し、私と外に出ては、買い物の仕方や勉強以外で生きていく上での必要なことを教えていきました。

 

私は、パートで仕事をしていたので、いつも一緒にいてあげる事も出来ませんでしたが、私が留守の間は、部屋の掃除や洗い物など、その日にやって欲しい事を次男に伝え、やり方を教えて、次男が1人でも出来る事を増やせる様にしていきました。

 

 

当時、次男が通っていた小学校は、障害があるクラスとかはありませんでした。転校も考えましたが、校長先生の配慮で他校から養護教諭を週に3回程来て貰える様にして頂いて、その日は次男だけ別で、遊びを通しての勉強を学ぶ様になりました。

 

休み時間等には、校長先生が次男と将棋をしてくれたみたいでした。忘れてしまう事が多い次男も、その時の事は今でも覚えているみたいです。

 

聞いた事をすぐに忘れてしまう次男なので、時間を置いては、同じ事を何度も話したり、次の日には忘れているので、また、話をしたり、掃除機の使い方等のやり方も何度も教えていきました。

 

けれども、自分が興味を持った事には、凄い記憶力を発揮するんですよね。私や家族が忘れている事を、瞬時に教えてくれたりするんです。

 

後は、凄い几帳面な処もあって、次男の部屋割りだけは、いつもピカピカ何です。現在は、24歳になり仕事はしていませんが、私の代わりに家事が全て出来るようになりました。仕事をすれば、1人でも生きていけると思える程になりました。

 

 

毎日少しずつの「出来る」を増やしてあげる事が、次男の自信にも繋がり、自分が家族にとって必要な存在だと思って貰える事が良かったのかな、と思いました。

 

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