糸賀 一雄(いとが かずお)
鳥取市立川町 生まれ 1914年3月29日 - 1968年9月18日
この子らに世の光を
1946(昭和21)年、県職員だった糸賀一雄らは、知的障がい児と戦災浮浪児を保護・教育するための「近江学園」を設立した。終戦直後の混乱期で制度・施策もない中、子どもたちの生命と生活の保障、情緒の安定と教育の提供を行うものとして立ち上げられた。この時代はまだ障害者への偏見が強く、糸賀らの取り組みは先進的であった。
糸賀は知的障害児の教育は「教科書があればできるというものではなくて、生活の一切が学習である」と言った。職員は、子どもらと同じ部屋で寝起きし、掃除、洗濯、食事などあらゆる行為をともにした。糸賀と職員らは毎晩のように集まり、教育方針について議論をかわした。
そして、その近江学園の福祉と教育の実践の中から「この子らに世の光を」とあわれみを求めるのではなく、「この子らを世の光に」と唱えた。
近江学園・・・戦災孤児・生活困窮児・精神薄弱児(現在の知的障害児)を対象とした生活保護法の救護施設
人柄やエピソード
近 藤 壌 太 郎(追想集糸賀一雄より)
糸賀君は私が滋賀県知事の時、秘書課長になってもらった。そのころ、私は、知事の告示や訓示がいかにも紋切型でつまらないと思っていた。ところが大阪府知事のだけは例外なので、聞くと、府庁に嘱託としてつとめている、語学も達者な教養の高い人物が書くということであった。そこで私も考えて、旧制中学校の漢文の先生に書いてもらった。ところがこれはむずかしくて一般にはわからないのでやめた。そこに糸賀君が秘書課長に来て書いてくれた。思想あり、信念あり、文才ありで私は大いに助かった。彼の書いた訓示を読む時など思わず力がこもったものである。
今から思うと、私もいろいろやかましいことを糸賀君に要求したが、糸賀君はそれをハッシと受けとめてよく勉強してくれた。
糸賀君は役人をやっても役人くさくなく、宗教を説いても宗教家くさくなく、教育をやっても教員くさいところがなかった。いつも生地の人間まる出しで事に当った。
糸賀君は実業家にしても、きっと成功した人だと思われる。それほどの才覚をもっていたからこそ、あれほどの大事業を成しとげたのだ。それでいて少しも事業家らしいところがなかった。これは考えてみると貴重なことである。というのは、単なる才覚ではない。糸賀君は誠実の人であった。何をやるにも誠心誠意であった。これが糸賀君に人の出来ないあの大事業をやりとげさせたのだ。
糸賀君は情に厚い人であった。しかも自分にきびしい人であった。そのきびしさが、ひるがえって入に対するやさしさとなってあらわれたのである。彼の晩年一といっても五十そこそこの若さだったがーの顔には、すべての人をつっみこむ、ひろびろとした柔和さがあった。まさに慈眼愛語であった。
もう三回忌か。早いものだ。
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