この記事では、救護法、旧生活保護法、現行生活保護法の制度内容等を比較してその変遷を述べる。考え方の一例として参考にしてください。
救護法から生活保護法へ
1932年に施行された救護法は、それまでの恤救規則に代わるものであり、対象を明確に規定し、初めて国家が貧困という間題に対して責任をもつことになった。また、救護機関や救護の種類などを明確化したことや、補助金という形でありながらも国の費用負担について定めたことなどの点が、血救規則から前進したものである。しかし、対象を制限している点(制限扶助主義)や、保護請求権を認めていない点、さらには欠格条項の規定、選挙権の剥奪などの差別的な処遇を行っていた点など課題を有していた。
終戦後、占領軍総司令部(以下、GHQ)は1946年に「社会救済に関する覚書」(SCAPIN775)を日本政府に提示し、「無差別平等の原則」、「公的責任の原則」、「必要十分の原則」、の3つを示した。そして、1946年9月に公布された旧生活保護法は前述の3項目を原則としていた。
しかし、怠惰や素行不良を不適格とするモラル条項が存続し、救護法の制限扶助主義を継承していた。また、方面委員を改変した民生委員を保護行政の補助機関とした救護法体制をそのまま継続し、保護の実施機関は市町村長としていながらも実際の保護の決定権は民生委員にゆだねられていた。
保護の種類は、生活・医療・助産・生業・葬祭扶助であったが、その程度は実質的には一時の救済措置として決定された生活困窮者緊急生活援護要綱の水準を上回らなかった。また、困窮者からの保護請求権を認められておらず、生存権との関連性は不明瞭であるとされた。
その後1946年11月に日本国憲法が制定され、その第25条では、すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有すること、国が社会福祉などの向上および増進に努めなければならないことが明示された。
旧生活保護法が公布されたのは新憲法の制定前であったため、憲法の趣旨を含んだ現行生活保護法が1950年に制定された。現行生活保護法では、無差別平等の原則に従い、制限扶助主義が撤廃され、全ての国民を対象とした一般扶助主義が確立された。扶助の基準は憲法25条に準拠し、健康文化的な水準を維持できるものとされた。
そして、保護の目的は最低生活保障と自立助長とされたことにより、保護の種類も教育・住宅扶助が追加され7種類となった。
また、保護を受けることは権利とされ、保護請求権と不服申し立て制度が設けられた。これをもって生存権が具体化されたとされている。しかし、扶養義務者による扶養の優先も、保護の補足性の原理として継承された。
ここまでを整理すると、救護法、旧生活保護法はお恵みによる制度であり、保護請求権が存在していなかった。しかし、現行生活保護法では日本国憲法に従う形で保護請求権が規定されることとなった。これはGHQの提出したSCAPIN775の影響が見て取れるものであり、現在まで続く同法の根幹はこの時代に作られたことが理解できる。
引用・参考文献
1.福祉臨床シリーズ編集委員会『社会福祉士シリーズ16 低所得者に対する支援と生活保護制度 第5版』弘文堂
2.社会福祉士養成講座編集委員会 編(2016)『低所得者に対する支援と生活保護制度(新・社会福祉士養成講座) 第4版』中央法規出版
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