社会福祉士コラム

【小説風事例紹介】寡黙なKさんの不器用な優しさ

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1.デイサービスの厳格なおじいちゃん

これは私が20人定員の認知症対応型デイサービスで生活相談員をしていた時の話です。

 

そこには元消防職員でいつも杖をつき、寄り添い介助を必要とする93歳の男性ご利用者様のKさんがいました。Kさんは有料老人ホームに入所しており、月曜日から金曜日までの5日間はデイサービスを利用されていました。

 

Kさんには奥様がいました。奥様は何度か脳梗塞を患い、リハビリテーションを行っていました。しかし、受診の際に転倒して腰椎骨折したことで車いすでの生活を送っていました。そして、事業所は違いましたが同じ会社の特別養護老人ホームに入所していました。

 

私がこのデイサービスに配属される前からKさんはすでにデイサービスを利用しており、前任の生活相談員からの引き継ぎの際には「口数は少ないしレクリエーションを盛り上げようとしたら絶対に興奮(憤っているような状態)する」と聞いていました。

 

レクリエーションでは、認知症対応型ということもあり口頭説明だけでは伝わりにくいため、実際に職員がデモンストレーションのような形で「このようにやります」と見ていただいていました。ただ、お手本を見ていただいているだけでは退屈したり、やってみようという意欲がわかないご利用者様もいます。

 

そこで、職員がわざと大げさに失敗して盛り上げようとしていました。失敗を見せておく理由として、少しでも上手にできたご利用者様に「私より上手です」と笑いに変えてあげられることや、大失敗してしまった場合でも「私の失敗に比べたらできていますよ」などと声掛けができるからです。

 

私は「では、自身がレクリエーションの進行を担当するレクリーダーの日はどうしていたのですか?」と聞くと、Kさんは女性の職員には絶対に手をあげないから、女性職員を隣に配置していたと聞きました。

 

私は少し心配になりました。このデイサービスに異動してきたのは、管理者と私の異動のみで、実務としては私以外の職員に変更はないため、少し安心はしていました。

 

どんな方なのかと想像しながら初日の送迎に出ると、Kさんは有料老人ホームの玄関フロアで帽子を目深に被り、口をへの字に曲げて座って待っていました。

 

私はKさんの近くに歩み寄り、膝をつき「今日からお世話になります。よろしくお願いします」と話しかけると、表情は変えられませんが、帽子を脱ぎ、会釈をしてくださいました。

 

あまり悪い印象は受けませんでした。私が介護をしてお礼を伝えると「どうも」とボソっと話される。どちらかと言うと口数は少ないがドンと構えている昔ながらの父親というような雰囲気を感じました。

 

2.Kさんの経歴と興奮

私は配属後の1週間はずっと入浴介助をすることになりました。それは、このデイサービスは個浴であったことからフロアで全体を見るよりもまずは個別に対応して個人の特徴をしっかりと覚えることや皮膚疾患の有無などを優先的に覚えるためでもありました。認知症対応型ということもあり、仮に皮膚状態の悪化があったとしても、それを訴える事が困難な方が9割でした。

 

私はKさんの入浴介助の時にも積極的に話しかける様にしていました。介護手順や目的の説明と同意だけでなく、仕事の話しや奥様、お子様の話など様々な内容を聞きました。Kさんは介護拒否もなく、私が労いの言葉をかけると「いやいや」と謙遜される様子を見せていました。私は前任者にからかわれたのかと思う程に何の抵抗もありませんでした。

 

そして、Kさんが2人の息子様を奥様と育てられた事や定年退職までは消防士として働き、定年退職を迎えた後もなお、地域の民生委員をされていたなどの話を聞きました。

 

その頃には、私の中では口数は少ないがドンと構えている昔ながらの父親像が確立されていました。

 

1週間後、私はいよいよフロアでの対応からレクリーダーまでを行うことになりました。結果、見事にKさんが興奮されました。これまでに見たことのない様子で、興奮の激しい時には杖を振り上げるといった様子でした。

 

しかし、レクリエーション以外の時には入浴介助で見せてくださった穏やかないぶし銀のKさんでした。

 

私は不思議に思い、他の職員に興奮の理由を聞きました。すると、これまでの男性職員は全て同じようにレクリエーションの時にKさんが怒っていたようでした。Kさんが消防士だった経歴からか、職員が盛り上げようとわざと大げさに失敗する姿が、男性が仕事中にふざけているように見え、Kさんにとっては悪いことのように映ってしまうようでした。

 

話を聞けば納得できる内容です。消防の仕事中に悪ふざけをしていれば必ず怒られます。当たり前のことではありますが、Kさんは消防署でも職員に対して常に同じ姿勢で接していたとのことでした。

 

私は、今後のレクリエーションの方法も考えなければならないなと思いました。

 

3.イベントレクリエーション中の笑顔

私はデイサービスでの業務を行う中で、これまでの担当者がそうしてきたようにレクリエーションの時には女性介護職にKさんの隣についてもらい、レクリエーションをするようになっていました。

 

それがKさんの心の安定に繋がり、周囲との円満な繋がりができるのであればそれでいいと思っていました。

 

そんな中、私の部署で消防訓練を行う時期になりました。私のいたデイサービスのすぐ近くに幼稚園があり、地域貢献活動としてクリスマス会や運動会といった行事の際にはお互いに交流をするという内容のものでした。

 

消防訓練の時には消防車が来るということもあり、幼稚園児も参加することになっていました。そして今回は、消防訓練とは別で保育園児や父兄を含めた方を皆さんに「認知症の方が困っていたら」という寸劇を行うことになりました。

 

ただ、まじめに寸劇を行っても仕方ないと、喜劇に近い内容で子供向けの寸劇のストーリーを作成することになりました。私の中ではとても嫌な予感がしていました。

 

子どもや父兄には面白いかもしれないが、Kさんが興奮され杖を振り回されたら場が凍り付いてしまうと思いました。それは、私だけでなく他の職員も同様だったようです。過去に興奮があまりにもひどい時には行事に参加されなかったこともあったと聞きました。そして不安を抱えつつも、当日を迎えました。

 

Kさんは元消防士という事もあり、消防士の消火訓練や救命救急訓練を見学するたびに「うんうん」と頷きながら見ていました。

 

そして、子供たちが消火訓練をする時には笑顔でほほえましく見守っていました。外での消火訓練が終わり、いよいよ屋内に移動して寸劇を行うことになりました。私たちはKさんだけでなく、他のご利用者様の体調確認や表情の確認を行っていました。長時間の行事では、時々体調不良になられることがあるからです。

 

寸劇はスムーズに終わりました。寸劇は体験型の寸劇にしていたため、子供たちや父兄も笑いながら寸劇に参加され、利用者役の職員に声をかけていました。

 

私は劇の途中でもご利用者様の表情確認を行っていましたが、Kさんの表情はとても穏やかでした。そして、幼稚園児や父兄が参加されている時には笑いながら穏やかに見ていました。

 

行事が無事に終わり、反省会が行われました。ご利用者様の満足度についても話があがり、Kさんの話題にもなりました。帰りの送迎車両で送迎担当をした職員より「今日はどうでしたか?と尋ねたのですが、とてもうれしそうに『わたしも昔、ああやって子供たちに教えていた』と話されました」と報告がありました。

 

私はこの件を考えて、なんとかKさんの安定に繋げられないかと話をあげました。それから私はレクリエーションで色々なことを試しました。Kさんに負の感情を与えているものが何なのかを周囲の職員とも話し合いました。ケアマネジャーへの協力を打診することや、県外に住んでいる息子様に昔のお父様の様子などの聞き取りも行いました。

 

改めてKさんの情報を集め、私たちは支援のヒントを探しました。レクリエーションの内容や、言葉かけ、一緒にレクリエーションを行う人など多角的に携わり方を考えました。すると、少しの共通項が出てきました。

 

4.Kさんの心の安定とKさんの想い

Kさんに対するアプローチの中で最も安定が見られたのは環境でした。レクリエーションを行う中で、Kさんの隣の席に重度の認知症の利用者Yさんがおられた時が最も安定していました。

 

Yさんは異食や徘徊、問いかけを行っても全く異なる返答が返ってくるという状態で意思の疎通ができません。レクリエーションや体操の途中でも突然立ち上がり帰宅しようとされるご利用者様であり、そのため他者とのコミュニケーションをとることの少ないご利用者様でした。その分、私たち職員の介入度も高いご利用者様でした。

 

Kさんはレクリエーションの途中に動かれるYさんを気にされており、立ち上がられると「どうしたかね」と優しく声を掛けられる姿がありました。

 

また、私を含めた男性介護職がフロアを盛り上げながらも、意思疎通の取りづらいYさんとレクリエーションを一緒に行っている姿を優しく見守られるようになっていました。

 

私たちがケアマネジャーや息子様から得た情報の中に、Kさんの優しい生活歴を示すひとつの共通する内容があったのです。

 

Kさんが民生委員を辞められたのは奥様の最初の脳梗塞発症時でした。当時のKさんは66歳でした。民生委員を続けようと思えば続けられる年齢だったと思います。息子様からは「父は任された事を途中で断る、辞めてしまう性格ではなかったから苦渋の選択だったと思います。それと、昔から厳しい人だった父が母の脳梗塞を理由に辞めたのはとても意外でした」と息子様からも聞かされていました。

 

そしてケアマネジャーからも、Kさんが献身的に奥様の受診について行っていたことなどを聞きました。Kさんが入所されたばかりの時にも、奥様の受診が気にかかり施設を出ようとされたことがあったとも聞きました。

 

奥様がそれまで受診する時に転倒・骨折されていなかったのも、もしかしたらKさんの優しい支えがあったからかもしれません。

 

Kさんは消防士という仕事を全うされる中で、厳格な人であったとも息子様からも聞いています。これまで、私たち職員がレクリエーションで盛り上げる姿がふざけて仕事をしていると映っていて興奮している、男がふざけて仕事をしていると怒っている、そう認識されていました。

 

厳しさの中に優しさを持っておられるKさんの行動を考えると、不器用さから伝えたいことがあっても、どう伝えていいかKさん自身もわからず興奮となっていたのかもしれません。レクリエーションという特定の内容に興奮を覚え、それ以外の介助には興奮されることもなく穏やかに過ごしていたことからも、Kさんの深層心理には特別な思いがあるのかもしれません。

 

私はケアマネジャーや事業所の職員と話すと共に、私はKさんの本音を知りたいと思うようになっていました。

 

ある日、私は入浴介助でKさんを担当することになりました。私は奥様への想いを聞くことにしました。するとKさんからは「苦労をかけた」とただ一言だけ返ってきました。しかし、その中にはいろいろな思いが詰まっていると感じました。

 

物静かで寡黙に仕事をこなしてきたKさんだからこその一言だったと思います。私は「奥さんのことを大切に思っていらっしゃったんですね」と伝えると、照れ笑いしていました。返答はありませんでしたが嬉しそうな表情を私は忘れることができません。

 

それからもKさんはYさんの隣でレクリエーションに参加され、興奮されることはありませんでした。

 

5.Kさんとの別れ

Kさんはとても安定した日々を過ごしていました。見知った顔に囲まれて、知った場所で馴染んだ環境に包まれて。介護職員からは「Kさん、最近本当に笑顔が増えましたね。穏やかになったし丸くなった感じがする」と話も上がっていました。

 

しかし、別れは突然でした。

 

ある日の朝、私たちが送迎に伺うとKさんの姿がありませんでした。私たちはトイレに行っているのかなと思い、有料老人ホーム職員に「Kさんはどちらですか?」と尋ねました。すると「今朝、朝食の迎えに行ったら亡くなっていたんですよ」と伝えられました。

 

前日までとてもお元気で、穏やかな笑顔を見せていたKさんだったことから本当に驚きました。息子様にとっても突然の死であり、県外から向かってこられている途中でした。

 

Kさんは死後処置を受け、まだ居室にいると聞きました。私たちは送迎を行いながら順番にKさんの居室を尋ねました。とても穏やかな表情でいつもの笑顔を見せてくれそうな安らかな顔をしていました。

 

翌日、Kさんのお通夜があると聞き、私と有料老人ホームの管理者で出席することになりました。私たちが参列していると車いすの女性が介助されながらお通夜の会場に入ってきました。Kさんの奥様でした。

 

奥様は今にも泣きだしそうな表情を浮かべていましたが、気丈にふるまっていたようにも見えました。そして、お通夜が一通り終わると焼香をすることになりました。

 

奥様が焼香を済ませ、車いすがKさんの棺に近づきます。しかし、立ち上がることのできない奥様はKさんの顔を見ることができませんでした。私たちは奥様の身体を両脇で支え、立ち上がっていただきました。Kさんは昨日と変わらず穏やかな表情で横になっていました。

 

奥様は泣いていましたが「ありがとね。いっぱい心配かけたね。私もすぐいくから待っててね」とKさんの頬に手を当てていました。私はKさんが本当に奥様を大切にしておられたと感じました。Kさんが入浴介助の時に見せてくれた恥ずかしそうな笑顔を思い出しました。

 

そして私たちもKさんにこれまでの感謝の意を伝え、焼香を終わりました。

 

6.奥様へのプレゼントとKさん

Kさんが亡くなられたのは9月10日でした。私たちは8月から敬老会の準備をしており、ご利用者様へのプレゼントを作っていました。笑顔の写真とご本人様へのメッセージを添えた額でした。

 

介護職から「Kさんへのプレゼントも仕上げたい」と話があり、私も同じ気持ちでした。Kさんが行事で子供と触れ合う写真や他のご利用者様と話をしている写真、一生懸命に作品作りをされている写真など、Kさんを思い返せる額でした。

 

私たちにとっても思い出の詰まった写真が何枚もそこには貼られていました。私は、それをケアマネジャーに見せ、奥様へのプレゼントにしても良いか相談をしました。ケアマネジャーからは、奥様もKさんが亡くなってからふさぎ込んでおられることから快諾してもらいました。

 

私は奥様が入所している特別養護老人ホームにも許可を得て、夕食前にプレゼントを持参しました。奥様が写真を見て更にふさぎ込んでしまうかもしれないとも思いましたが、特別養護老人ホームの職員も快諾してくれました。

 

プレゼントを持っていくと特別養護老人ホームの相談員が出迎えてくれました。奥様はKさんの死後、居室からあまり出てこられないこと、長男様の意向でお通夜と葬儀に参列したが、認知症症状のない奥様にはあまりにもショックが大きかったのかもしれないと聞きました。

 

私は奥様の居室を訪室してあいさつをしました。「Kさんがいつも来られていたデイサービスの職員です。Kさんに渡したかったプレゼントがあったので受け取ってもらえませんか」と伝え写真を渡しました。

 

奥様は黙って写真を見ると寂しそうな笑顔を見せながら「こんなにええ顔して…あれだけ写真が嫌いだったのに」と話してくれました。

 

私はデイサービスや私の知る範囲での有料老人ホームでの様子や、Kさんとの思い出を伝えました。もちろん入浴介助の時に奥様の話をすると照れ笑いされていたことも含めて話しました。

 

奥様は「あの人は本当に優しい人だったけど、本当に不器用でしたね」と笑いながら、Kさんが、言葉数が少ない中でも優しくしてくれた思い出を話してくれました。

 

Kさんは昔から口下手で、消防士という自分の立場上なかなか自分を崩すこともできず、周りから頑固一徹と思われていたが、本当は常に誰かを思いやっていたとのことでした。しかし、それも中々他人に伝わらなかったと話していました。

 

奥様を不安に思わせていけないと、奥様への聞き取りは行いませんでしたが、私はもっと早く奥様と会って話せば良かったと思いました。奥様はKさんが昔から写真が嫌いであったことからこの写真をとても喜んでくれました。さっそく特別養護老人ホームの相談員に飾ってもらっていました。

 

7.Kさんの威厳と優しさ 家族への想い

私たちは当時のKさんに会うことはできません。本心がどのようなもので、なぜその時にその行動されたのか、すべて読み取ることはできません。しかし、男性職員がレクリエーションを盛り上げるために行っていたことに対して興奮されていたのは、Kさんなりの優しさだったのかもしれません。

 

Kさんは大の大人の男にそんなことをさせたくないと思い、男性職員をかばうために大きな声を出しておられたのかもしれません。

 

その深層心理は今となってはわかりませんが、Kさんが亡くなられ今だからこそ、思い返してそう思えます。

 

しばらく経って、デイサービスにKさんの長男様が来られました。突然の来訪で私たちは驚きましたが、奥様への面会に来られた際にKさんの写真を見せてもらったそうでした。

 

長男様もKさんが亡くなられた時に奥様を葬儀に参列させるか迷っていたそうです。そして、葬儀が終わった後から、居室からあまり出てこられなくなったと聞いて後悔していたそうです。

 

長男様は、Kさんが亡くなった後にもKさんを想い敬老会のプレゼントを仕上げてくれたこと、奥様にそれをプレゼントとして渡してくれたことに対して心からお礼をいってくださいました。

 

長男様は、厳しかったKさんに何度も反発して親子関係はあまり良好とはいえなかったようです。しかし今回、奥様からKさんがいつも長男様を心配していた。Kさんが小さい頃に怪我をした時に、なにもせずに座っていただけだったが仕事を休んだことがあったなどを改めて聞く機会があったそうです。

 

長男様は、今からではもう親孝行することはできないと肩を落としていました。私は「Kさんがとても大切に思っておられた御家族です。息子さんがお母さまを大切にされている姿が親孝行に映るかもしれませんよ」と伝えました。

 

長男様はもうすぐ定年退職を迎えられる歳でした。30代の私が言うのはとてもおこがましい言葉でしたが、Kさんと過ごした日々で、私たちの知るKさんならきっと喜ばれると思い、伝えました。

 

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