【社会福祉士】民生委員の前身である方面委員とは?
現在の地域福祉の要と言っても良い民生委員ですが、その前身は方面委員という制度でした。方面委員とは一体何のなのかを説明します。
社会福祉士に興味がある方に読んでもらいたい1冊です。本HPで連載していた事例を紹介しています。施設相談員がメインの事例となっており、介護福祉士と何が違うのか、どんなことをするのかよくわかると思います。小説風に書かれているので読みやすいかと思います。
方面委員制度とは
方面委員制度の始まり
民生委員制度や方面委員制度の元となったのは1917年に岡山県知事の笠井信一が創設した済世顧問制度であり、これはドイツのエルバーフェルト制度等を参考に作られました。
エルバーフェルト制度は1852年にドイツのエルバーフェルト市で実施された救貧委員制度で、市域を1区内に4名以上の貧困者がいないように、546に区分し、ボランティアの「救貧委員」を配置しました。「救貧委員」は、担当区域を訪問、調査し、貧困者の救済と相談援助や指導を行いました。これにより、貧困者を就労に結び付けることができるようになり、救貧税の支出が大幅に減少するという結果が生まれました。
翌年には大阪府知事の林市蔵が顧間の小河滋次郎の協力により方面委員制度を作りました。こちらもをエルバーフェルト制度参考にした篤志家による防貧・救貧活動でした。
方面委員制度では、小学校通学区域を一方面と決め、その方面単位に委員を任命し、その委員が担当方面居住者の生活状態を調査し、生活困窮者の適切な救済を実施する制度として一定の役割を果たした。
その後、方面委員制度は全国各地へと広がりを見せました。
救護法と方面委員
1929年の救護法では方面委員は市町村の補助機関と位置づけられ、保護世帯の調査にあたり、さらに保護の決定に実質的にかかわっていました。
この救護法において市町村の補助機関と位置づけられた方面委員ですが、救護法の施行に関してソーシャルアクションとしてのかかわりをしていました。
救護法は付帯決議として1930年から実施されることとなっていましたが、財政難を理由に実施は数年間見送られていました。このような状況を打破するために、方面委員や社会事業関係者は全国的な運動を展開し、「競馬法」を改正することなどによって財源を確保し、1932年から実施されることになりました。
その時の中央社会事業協会の会長であった渋沢栄一も法案の実施を訴え続けていましたが、病に侵されていたため救護法の施行の2ヶ月前に他界されてしまいました。
方面委員から民生委員へ
1936(昭和11)年には方面委員令が公布され、戦後1946(昭和21)年に民生委員令として改称され1948(昭和23)年に民生委員法が制定されました。
GHQは戦前の方面委員制度は地域住民の監視装置の一つという疑いを持っていたため、厚生省に対して民生委員に代わる有給の福祉専門職の養成・確保、全国一律の厚生行政の確立などを求めていました。
1950(昭和25)年の生活保護法の改正により民生委員は福祉事務所の協力機関として位置づけ直された。大きく変わったのは補助機関から協力機関として位置付けられた点です。