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【小説風事例紹介】Iさんの夢

time 2019/07/31

【小説風事例紹介】Iさんの夢

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Iさんの夢

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~珍しい利用者~

私が小規模多機能ホーム(小規模多機能型居宅介護)で管理者、ケアマネージャー、介護職員等を雑多にこなしていた時のことです。

 

小規模多機能ホームでは、一つの事業所でケアプラン作成、通所(デイサービス)、訪問(ヘルパー)、宿泊(ショートステイ)のサービスを一元的に提供します。対象は在宅の要介護(要支援)の方で、住み慣れた地域での生活継続をサポートするのが主眼となります。

 

私が勤めていた事業所では小規模多機能ホームでサービスを提供し、在宅生活が難しくなってくれば、無理をせずに同法人で経営する入居施設に繋げるというケースが多数でした。

 

Iさんはその逆に近いパターンで、他法人の施設から自宅に戻り、その後小規模多機能ホームを利用することになりました。同居して世話をしていた娘さんが病気を罹ってしまってIさんにまで手が回らなくなり、入居に至ったそうです。

 

前施設からの情報では、当初は徘徊、昼夜を問わず大声で叫ぶ、あちこちで排泄する、何度も同じことを言う(ご飯食べてない、今何時など)といった行動が見られるレベルである。

 

しかし現在はほぼ寝たきりで、生活の各場面で介助が必要ではあるものの、置かれた状態でニコニコ過ごしている。娘さんの体調が回復し、この状況なら自宅で看られる、最期まで世話をしたいという強い意向により施設を退所することとなったため、小規模多機能ホームで引き続きの対応を願いたいと結ばれていました。

 

本人面談でも情報の通りで、非常に可愛らしいお婆さんでした。施設には何の不平不満もないものの、一日も早く自宅に帰りたいとのことで、バタバタと利用開始日が決まります。

 

娘さんは昼間に食堂で働き、それ以外の時間は手芸で作った作品をインターネットで販売していました。コツコツと蓄えてきたようで、「何かあればすぐに飛んで行くし、最悪仕事は辞めても大丈夫なので、お母ちゃんをヨロシク!」とお願いされました。

 

私たちの立場として、協力を得られるご家族というのは大変ありがたい存在です。というのも、事業所にお願いしておけば家族は何もしなくてもよいと解釈したり、過剰に期待したりしてしまうケースがあるからです。

 

娘さんは少々どぎつい冗談が多く、真面目なスタッフは最初は躊躇していました。一方で異常なまでにフットワークが良く、約束通り細かな連絡にもすぐに対応してくれました。連絡帳にも毎回丁寧にコメントや自宅での様子を書いてくれ、皆がやりがいを感じていました。

 

~Iさんと娘さん~

Iさんは訳あって若くしてご主人と離婚し、娘さんを女手一つで育ててきました。典型的な肝っ玉母ちゃんだったようで、娘さんもそれを引き継いでいるのがよく分かりました。

 

Iさんの趣味、得技は料理と手芸、ドライフラワーと非常に多彩で、娘さんも小さい頃から自然にそれらを身に付け、一緒に取り組んできたそうです。

 

娘さんも一度は嫁いだものの同様に離婚し、Iさんの住む実家に戻ってきました。当時離婚するというのはそれなりに勇気のいることで、近所の目なども厳しかったようですが、大量の荷物を抱えて戻ってきた娘さんにIさんは「おかえり、大変だったね」とだけ声をかけたそうです。

 

そんなわけでIさんと娘さんの生活が再開され、二人の強い絆が育まれていったのです。かと言って相互依存のようなベタベタとした関係でもなく、適度な距離感を保ちながらも互いに尊敬し合える仲なんだと娘さんは誇らしげに話しました。

 

本気なのか単なる夢なのか分かりませんが、Iさんはよく「元気なうちにあんたと一緒にお店を開いて、お店には作品を置いて、自慢の手料理を皆に食べてもらいたい」と話していたそうです。今のIさんにその話題を持ちかけてもニコニコしているだけで目立ったリアクションはありませんが、娘さんは今でも心の片隅にその言葉が残っているようで、今の仕事は店を始めるための準備でやっていると話していました。

 

そのような経緯もあり、病気で止むを得なかったとは言え、娘さんにとってIさんを入居させるというのは相当な決断でした。Iさんの入居後しばらくは心身が楽になるどころか、娘さんは罪悪感に苛まれ、余計に体調が悪くなってしまったそうです。

 

しかし「早く元気になって、お母ちゃんと暮らす」これが原動力になり、娘さんは無事に病に打ち勝ちました。厳しいリハビリにも耐え、体調も以前と変わらないぐらいまで回復しました。

 

しかし、反比例するようにIさんの心身状態は低下し、対応に苦慮するような行動はなくなったものの、ほぼ寝たきりの状態になっていました。

 

「よく言えば大人しくなってみんな助かったんだけどね。話しかけてもニコニコしてるだけで、これじゃあぬいぐるみと一緒だなと思った。ダメだ、連れて帰るなら今しかないってね」

 

施設側もなぜ敢えて大変な道を選ぶのか驚きを隠せず、「本当に大丈夫ですか」と何度も尋ねましたが、娘さんはやると決めたら絶対に引かないことを分かっていたので、しんどかったらいつでも戻って来るように伝え、退所に至ったそうです。

 

~利用開始~

仕事中以外の世話は娘さんがするとのことでしたが、自宅での入浴が最も負担が大きいとのことで、生活の活性と入浴を主な目的に、Iさんは定期的に来所することになりました。

 

主治医はIさんと娘さんが長年診てもらっている先生がいいとのことでした。先生は年配で、言葉のチョイスが少々乱暴な部分がありましたが、Iさんたちとの長らくの信頼関係が垣間見えるアットホームなやりとりで、自宅での介護、医療における連携につき快諾してくれました。

 

看護師については主治医が訪問看護ステーションを併設しているので、そちらと連携させてほしいとのオーダーがありました。特にデメリットのない話であり、阿吽の呼吸で動けるのが最善です。娘さんを筆頭に、医療は昔から付き合いのあるかかりつけ医、介護は私たちという最強サポートチームの発足です。

 

Iさんは自分から何かをしたり、何かを言うこともなく穏やかで、他の利用者からも可愛がられていました。一方、折り紙や塗り絵、裁縫や手芸、フラワーアレンジメントなどの手先を使う活動の腕前は相当なもので、皆から注目、称賛されていました。だからと言ってIさんはそれをひけらかすわけでもなく、大人しく目立たない同級生は実はスゴいヤツだったような雰囲気になっていました。

 

このレベルの利用者だから難しいことはできないだろうと内心思っていたスタッフは、違う意味で裏切られたと驚いていました。

 

利用開始当初はさすがの娘さんにも久々の同居、介護に少し疲れた様子が見えました。しかし、「正直しんどいね。お母ちゃんより先に死んじゃうかも。まぁ自分が選んだ道、やりたかった道だから、とことんまで行くよ」と笑ってよいのか判断に迷う冗談を言いながら、徐々に元気を取り戻していきました。

 

Iさん自身も事業所に馴染んできたようで、懸命に自分から他の利用者に声をかけたり、手先を使う活動で困っている利用者に身振り手振りで教えようとする姿が見られるようになってきました。普段は意地悪な利用者もIさんはだけは特別なようで、助けたり教えられたりという良好な関係ができ上がっていました。娘さん曰く、昔は人の世話を焼いたり何かを教えるのが大好きだったので、その感覚が少し蘇ったのではないかとのことでした。

 

心身状態の重度さで言うとIさんはトップクラスでしたが、見方を変えれば物理的な負担が大きいだけの話で、娘さんの協力体制も手伝って、私たちにとっては非常にやりやすく、強い信頼関係が築かれていきました。

 

~状態の低下~

日が経つにつれ、Iさんの体力は徐々に徐々に、目に見えるまでに低下してきます。手先を使う活動には参加しますが以前ほど集中が持たず、途中で眠ってしまったり、小さな声で「もういい」と話すようになりました。

 

介助で少しの間立ち上がることは勿論、椅子に座っていることも難しくなりました。入浴は特に身体の負担が大きいと言われていますが、事業所には寝たままで入浴できる設備がなく、スタッフ二人での対応となります。入浴は疲れてしまうのか、その後はベッドで眠ってしまい、しばらく起きられなくなる状態でした。

 

娘さんと主治医に状況を話したところ、「嫌なら活動に参加しなくていいし、風呂に入らなくても死なない。眠たいならずっと寝かしておけばよい」との結論に至りました。

 

私たちとしてはせっかく来所してもらう以上は何かしなければならないという気持ちがありましたが、娘さんさえ問題なければ、そもそも通所する必要があるのかというところまで来ていました。

 

それに伴って各臓器の活動も低下してきていたようで、いつ何が起こってもおかしくないし、それほど先は長くないだろうと主治医より話がありました。いよいよ「看取り」という言葉が現実味を帯びてきます。

 

制度的な話をすると、当時の小規模多機能ホームの運営基準として、「通所を中心として…」「週に4回程度は通所サービスを提供することを…」といった文言がありました。

 

Iさんはもはや通所の必要性がなくなり(できなくなり)、おのずと宿泊も不要となり、訪問しても介護のフィールドでは清拭と環境整備ぐらいしかできることがなくなっていました。

 

運営基準を真に受けると、小規模多機能ホームの対象ではなくなっていたのです。具体的な話をすると、居宅介護支援事業者(○○ケアプランセンター等と言われるところです)にケアマネージャーを交代し、訪問入浴や訪問看護等、自宅での介助、医療のサービスを密にすることが求められているのではないかという状態でした。

 

実質サービスをお断りすることになるため、言葉を選びながら娘さんにそのことを伝えました。「家での世話は私がするし、訪問ってことにして、適当に母ちゃんに話しかけて帰ってくれるだけでいい。役所が何か言って来たら私が追い返してやるから、今さらそんな薄情なこと言わないで。最期まで看てあげてよ」

 

いつも冗談ばかり言っている娘さんがしっかりと私の目を見据え、真剣な表情でそう言いました。ご家族の希望とは言え、ルール上は非常にグレーなやり方です。しかし、その言葉にハッと目が覚めたような感覚になり、思わず「分かりました、私たちにやらせて下さい」と答えていました。

 

~本格的に自宅で~

結局、清拭と環境整備(身の回りの掃除やベッドメイキング等)のための訪問が私たちの役割になりました。

 

どこの事業所にも決定事項に難癖を付けなければ気が済まないスタッフがいるもので、必要性の疑わしい理由のために訪問するのはいかがなものかと、浅はかな知識でもっともらしいことを話していました。しかし、日に日に緩やかに衰弱していくIさんの姿を見て、会える日を大切にしたいと気持ちが切り替わっていきます。

 

娘さんをはじめとする関係者で定期的にカンファレンスを開催し、その都度Iさんの状態等を報告し合い、互いの連携体制を確認します。

「遅かれ早かれそうなるんだから、気楽にやればいいんじゃない?化けて出たら塩をまいてやるから」ごもっともな話であり、そう言ってもらえると余計なプレッシャーを感じなくてよいので救われました。

 

いくら普段の関係が良好だったとしても、有事になると言い分や態度がガラリと変わることがあります。そう言った意味で娘さんは、根拠はないものの信頼感があり、各々が事業所の保身云々よりも悔いなく最期を迎えてほしいという想いを持っていることが読み取れました。

 

「横で見られてるとやりにくいだろうし、私の腹ごしらえも兼ねて買い物に行くわ。死んだ時の練習と思って綺麗に拭いといたげて」私たちが訪問すると、娘さんは相変わらず笑っていいのか分からない冗談を言いながら原付で出かけ、あっという間に大量の食料や日用品を買って帰ってきます。

 

「お母さん、そろそろだわ。手が空いたらでいいから、誰か来れるかな?」と娘さんから連絡が入りました。幸いフリーのスタッフがいたため、二人で自宅に向かいます。既に主治医と看護師らが来ており、皆でお茶菓子を食べながら寛いでいました。厳かあるいはドタバタした雰囲気を想定していた私たちは拍子抜けしましたが、Iさんらしいなとも感じました。

 

Iさんは呼吸をしているのかどうか分からない状態でしたが、見たこともないほど穏やかな表情をしていました。同行したスタッフがハンカチで涙を拭っているのを見て、娘さんが「まだ死んでないよ!もうじきだけどね!」と笑いながらバシッと肩を叩きました。それで気持ちがほぐれたのか、余計に涙を流していました。

 

私も施設で何人もの看取りを経験しており、土壇場で憔悴したり、しんみりしてしまうなど、様々な人間模様を見てきました。しかし、ここまでリラックスした雰囲気、しかも自宅というシチュエーションは初めてだったのです。

 

~看取り~

「そろそろかな…」

 

そうこうしているうちに主治医と看護師が動きました。見立て通り、脈がなくなっていました。瞳孔の観察などの一連のチェックを終えると、看護師が「お着替えしましょうか」とIさんに話しかけます。

 

頬に一筋の涙がつたっていましたが、満たされた表情で娘さんもIさんに話しかけます。「お母ちゃん、納得したかな。みんなの声を聞いて、家の天井を見て、これ以上の贅沢はないよ」

 

看護師がテキパキと清拭や着替えを行い、簡単に化粧を施しました。前々から通夜葬儀は自宅で執り行うことを決めていたようで、娘さんは友達に電話をするように葬儀社に電話を入れています。

 

どのタイミングで失礼すべきか迷いましたが、それぞれの職分を終えると緊張が緩んだ雰囲気になったため、挨拶をしてIさんの自宅を出ました。

「至れり尽くせり、本当にありがとう。お通夜は明日の夜、お葬式はあさってだってさ。無理ならいいけど、来れそうなら来てあげてね〜」と食事にでも誘うようなノリで見送ってくれました。

 

自宅での通夜ということで、あまり大人数で押しかけるのはどうか判断に迷いました。そうしたところで娘さんはどうこう言わないとは思いましたが、やはり気が引けます。

 

何だかんだで全員が行きたいと言い出し、結果的に私以外にもう一人、参列希望者の中からジャンケンで決めることにしました。会社の経費で出せるのは弔電とお花だけと決まっていたため、加えてスタッフの寄せ書きをお供えすることになりました。

 

仕事を終えてIさんの自宅に行くと、葬儀社も知り合いか何かのようで、それ以外の参列者は親戚と思しき高齢の夫婦のみ。皆でIさんの傍でおやつを食べながらまったり過ごしていました。

頭数だけで言うと非常に寂しい場ですが、アットホームというべきか、良い意味でゆるい場になっていました。「あら、来てくれたの!?ちょっとお寿司とるわ」

 

言うや否や、私たちが断る間もなく宅配寿司屋にオーダーを入れます。わざわざ足を運んでくれたこと、夜なのでお腹がすいているだろうとのことでしたが、親戚の家に遊びに来たようなもてなしにただただ恐縮してしまいました。

 

お通夜が終わり、お坊さんと入れ違いで寿司屋のお兄さんが到着し、明らかに人数に見合わない大きな寿司桶が届きました。立場的なものもあって最初はお断りしていましたが、私自身があまりにもお腹がすいていたこともあり、Iさん、娘さんとの信頼関係の賜物であるという大義名分の下、参列したスタッフも含めて皆でそれを頂くことにしました。

 

~夢~

病気や認知症になっても住み慣れた地域で末永く生活できる社会基盤を整えるよう、官民、地域住民が連携すべしとの方針が高らかに掲げられており、個人的にもそうあるべきだと思います。

 

しかし、警察や消防以外の行政機関は土日休みで平日は17時にはほぼ閉まりますし、介護事業者も無尽蔵に人を動かせる状況にありません。地域住民に至っては当然その人達の生活がありますし、時間に余裕のある人達はそれなりの歳になっており、義務ではないことに全力で傾倒できる人がどれだけいるのだろうかという問題もあります。

 

グループホームをはじめとする入居系サービスにおいて、一昔前は看取りというと随分大変なことというイメージがありました。しかし、それに対する加算(報酬)が法定され、重度や死期の近い入居者の対応をするのが当たり前になりつつあります。

 

一方、実現できるかはさておき、最期を迎えたい場所自宅という意見が多数を占めます。しかし、その実現にはご家族、医療、介護の関係者が強力なタッグを組み、対応できる体制を整える必要があります。特にご家族については本人の最期を受け入れ、何かあった時に動ける覚悟が求められます。

 

そう言うのは簡単ですが、Iさんのように全ての条件を満たせるケースはあまり多くありません。何か一つでも条件が合わなければ、自宅での看取りは実現できなかったことでしょう。

 

ある日、ディスカウントスーパーの袋に大量の食材を乗せて原付で走っている娘さんを見かけました。手を振るとわざわざ原付を停めてこちらに来てくれました。何と、調理師の免許をとって小料理屋を始めたそうです。ついついペースに巻き込まれてしまい、数日後にスタッフらを連れて来店することになりました。

 

お店の名前は「〇〇ちゃん(Iさんの名前)」

 

数人分のカウンターとテーブル席が2席だけのこじんまりとしたお店でしたが、随所に手芸作品やドライフラワー等、レジの横にはIさんと娘さんの笑顔の写真。親子の想いが詰まった空間に思わず涙するスタッフもいました。

 

メニューは酒のつまみ的なものからガッツリ系の物まで、意外に広くカバーされていました。各々が好きな物を注文すると、娘さんは話をしながらもテキパキと料理を仕上げていきます。

 

お味はディスカウントスーパーの安価な食材がここまで美味くなるのかと思うほど本格的なもので、ガヤガヤ騒いでいたスタッフたちが一斉に静かになり、料理を頬張っていました。

 

一緒に叶えることができなかった夢ですが、今までの作品に囲まれ、娘さんが受け継いだ味で皆が満足している。Iさんもきっと喜んでいることでしょう。

 

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