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【小説風事例紹介】介護の仕事とは?

time 2018/09/03

【小説風事例紹介】介護の仕事とは?

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1.ルールの中で生きるEさん

私はユニット型特養で介護職員として4年半ほど働いています。仕事を通じて多くの利用者さんやそのご家族と関わってきました。今回お話する方はEさんという男性で、私が今まで関わってきた利用者さんの中で最も印象に残っている方です。

 

Eさんは当時77歳で、私が入職したときにはすでに施設入所されていました。58歳のときに脳梗塞と脳幹出血を相次いで発症し、その後遺症で四肢麻痺(全ての手足が麻痺した状態)と失語がありました。そのため、一日のほとんどをベッド上で過ごしていました。

 

彼の生活は、かなり独特で様々なルールの下に成り立っていました。

 

「僕の介護について」というEさん本人が作成したルールブックがあり、彼は新人の介護職員が入ってくるとそれを渡していました。私も入職した頃にEさんからそれを手渡され、A4用紙10数枚にも及ぶルールの数々に、この人の介護が私にできるのだろうか、と不安に苛まれました。

 

Eさんは四肢麻痺でしたが、左手の親指と人差し指だけは微動することができました。それは本当にわずかに動くだけでしたが、その2本がほんの少し動くだけで、彼の生活の幅は劇的に広がっていました。

 

まず、Eさんは失語で声が出ないため、コミュニケーションには文字盤というものを使用していました。文字盤とは50音と数字などが書かれた画用紙のようなもので、指揮棒を手に握り、自分の意思を文字盤の文字を指すことで伝えます。2本の指が動くおかげで、この指揮棒を握ることができるのです。文字盤があるおかげで、認知症のないEさんはスタッフや家族、来客の方々とコミュニケーションをとることができました。

 

また、その指でナースコールを押すこともできました。職員はナースコールを必ずEさんの手に握らせてから退室すること、というのは基本的なルールの1つでした。部屋から出てこないEさんにとって、ナースコールは命綱です。それがどこかに転がっていれば、拾いに行くことはできません。そうなると、誰かが気付いて訪室しない限り、声の出ないEさんは何かを頼みたくても誰かを呼ぶことができません。そのため、必ずナースコールを手元に置いてから退室してくれ、と初めのうちは何度も言われました。

 

Eさんは、パソコンで文書を作成することもできます。文字盤を使用するときと同じようにパソコン用の棒を握り、障がい者用の特殊なキーボードをセットします。すると軽い力で触れるだけで文字を打つことができます。「ルールブック」はそのようにして作成されたものでした。それ以外にも、職員に周知したいことがあるときに文書を作成したり、家族や友達に手紙を書くこともありました。

 

2.人間として

Eさんは食事、排泄、入浴などは全て介助を必要としました。以前は食堂で他の利用者さんと一緒に食事をとっていたそうですが、身体の動かない姿を人に見られるのが嫌で、いつしか部屋で食事をとるようになったそうです。そのため、Eさんの世界は8帖ほどの自分の部屋の中で完結していました。

 

特養は「終の棲家」と呼ばれることもあり、生活の全てに介助を必要とする方は少なくありませんでした。寝たきりの方は何人もいましたが、他の方々とEさんの異なる点は、認知状態でした。

 

「寝たきり」であることの原因は人によって様々ですが、私が接したことのある寝たきりの利用者のほとんどは、重度の認知症も患っていました。Eさんはその中で唯一、認知症が全くなく、身体だけが動かないという状態でした。

 

想像に難くないですが、これはとても辛いことです。意識はしっかりあるのに、身体はほとんど全く動かないのです。足が痒くても自分で掻くことができませんし、鼻をかむときにも誰かにティッシュをあてていてもらわなければ、一人ではできません。

 

Eさんがこの状態になってからすでに20年近くの月日が流れていましたが、それでもEさんは時々身体が動かないことに涙を流したり、自分の意思がうまく伝わらないもどかしさから錯乱状態になることもありました。

 

初めのうち、私はEさんの介助をする度に緊張していました。覚えきれないほどのルールや、慣れない文字盤でのコミュニケーションに戸惑いながら、どうにか少しずつ信頼関係を築いていくことができました。Eさんには感情失禁という後遺症もあり、その影響で対応がうまくできない職員に激怒することが度々ありました。そのため、私はEさんを怒らせてしまうことのないように、と神経を研ぎ澄ませながら日々接していました。

 

しかし、Eさんはとても優しい人でした。こちらがEさんの声に耳を傾け、Eさんが何を求めているのかを知ろうとする姿勢を忘れなければ、たとえ文字盤がうまく読めなくとも、ルール通りの対応ができなくとも、怒ることはありませんでした。

 

Eさんが怒るのは、職員が「Eさん本人が求めること」をうまく汲み取れず、確認もしないまま「職員がそうした方がいいと思うこと」をしたときでした。

 

「僕は、人間として接してほしいだけなんだ。」あるとき、Eさんはそう言いました。私が入職して1年半が経った頃、新人職員がEさんを怒らせてしまい、私がフォローに入ったときに出た言葉でした。

 

3.明日は何をしようか

「介護をする相手は人生の先輩であり、尊敬の念を忘れずに接しましょう。」というのは、介護の教科書に出てきそうな言葉です。至極当然のことのようですが、日々人がいない中で走り回る施設職員は、時折それを忘れてしまうことがあります。丁寧に声をかけることをせず機械的に介助をしてしまったり、その方の訴えに真摯に耳を傾けることを怠ってしまったり。

 

それは、私も経験のあることです。特に入職したばかりで余裕がなく、自分の仕事に自信を持てない時期にそのような悪い傾向がありました。

 

介護施設内での職員による利用者への暴行等の事件を目にする度、他人事とは思えない時期もありました。

 

Eさんは、介護される側の気持ちをいつも私たちに訴えかけ、忙しさを言い訳に相手を尊重することを忘れそうになる職員をしばしばハッとさせました。

 

私ももちろんその一人で、Eさんに教えていただいたことは数多くあります。

 

あるときには、病院時代のことを話してくれました。

 

「僕は四肢麻痺になったばかりの頃、病院のベッドで天井を見上げているだけの毎日を送っていた。その頃はまだ文字盤もなかったから、看護師さんとコミュニケーションをとる手段がなかった。毎日機械的に食事を食べさせてもらい、排泄の介助をしてもらい、入浴をさせてもらい…。看護師さんは僕に認知症があるかどうかもわかっていなかったんじゃないだろうか。こちらの頭の中はクリアで、声をかけてくれたり日々世話をしてくれていることに感謝しているのに、一言も発することができないのだから。孤独だったよ。その気持ちや、こうしてほしいという希望を伝えることもできないから、嫌な思いも沢山した。生きている意味が見出せなくて、何度も死にたいと思った。だけど、僕は自分一人では死ぬことすらできなかった。」

 

「でもね、治療を終えてこの施設へ来て、文字盤やパソコンも使えるようになった。そうしたら、前と同じように…とまでは言わないけれど、周りの人達とまた話をすることができるようになった。今は読書もできるし、食事も前より美味しく感じる。病院にいた頃は死ぬことばかり考えていたけれど、今は明日何をしようかと考えることができるんだ。」

 

Eさんは、病院時代とそのときで身体状態は全く変わりませんでした。ただ、環境と周りの対応が変化しただけで、死ばかり考えていた人が明日のことを考えられるようになったというのです。

 

私はこの話を聞いたとき、「介護」という仕事や、「施設」という場所について考えさせられました。利用者さんの生活の場である施設と、そこに入りこんで出来ないことを手助けする介護。私たちの振る舞いや対応一つでその方の人生を左右してしまうこともあるほどに、重要な仕事だと感じたのです。

 

4.世界を広げたい

あるとき、Eさんからこんな訴えがありました。「僕の部屋に、インターネットをひくことはできるかな?」

 

施設の設備に関わるので、介護職員から即答はできません。相談員や上司にも相談することになりました。

 

Eさんはよくテレビを見ていたのでインターネットの存在は知っており、それがあれば自分の世界はとても広がるのではないかと考えたのです。Eさんのパソコンは文書を作成することなどができるだけで、インターネットには繋がっていませんでした。

 

そのとき入所していた方の中でインターネットを引いている人はいませんでした。施設が開設してから歴代の入所者を思い返してもそのような方は一人もおらず、今まで検討したこともないことでした。

 

そのため、相談員や上司からもすぐに可能かどうかの返答が来ず、環境を整えるためには工事が必要となるのか、そもそも一人の入所者のために施設は工事を許可するのか、いろいろなことを確認する必要があったようです。

 

上司から返答が来ないまま、同じユニットを担当する介護職員同士で話をする機会がありました。私はその頃4年目を迎えており、一緒に話していたのは更に先輩のユニットリーダーでAさんいう女性と、1年目の後輩職員でKさんという男性でした。

 

Kさんはその頃Eさんとの信頼関係がまだ上手く築けておらず、何度も怒られたり、ときにはKさんも腹を立て、Eさんとぶつかることがありました。

 

そんなKさんが、このインターネットの件について、このように言いました。「なんだか日頃からいろいろなことをやっていますけど、今度はインターネットを引きたいそうですね。実際にインターネットなんて引かれたら、最初のうちは設定だったりやり方を教えたりで、職員がつきっきりになってしまいますよ。そんなことになったら僕たちの本来の仕事ができませんから、困りますよね。」

 

私はこれを聞いて、少し驚きました。そして、「Kさんの言う、『僕たちの本来の仕事』って何?」と聞きました。

 

するとKさんは数秒考えた後、「食事と排泄と入浴の手伝いをすることです。」と答えました。

 

「違うでしょう。」と私が言うより先に、ユニットリーダーのAさんがこう言いました。「それは、確かに一番基本的で重要な介護の仕事だね。」

 

Aさんは穏やかに、しかしはっきりと言葉を紡いでいきました。「でも、それだけではないんじゃないかな。Kくんは、毎日食事が提供されて、トイレにも行きたいときに行けて、定期的に入浴をして清潔が保持されていたら、幸せ?」

 

「いや、そんなのは当たり前なので…。幸せというのは、もっと違うものだと思います。」Kさんはそう答えました。

 

5.幸せとは

Aさんはさらに話を続けました。「そう、それは当たり前のことだね。まぁ、当たり前のように食事や清潔な環境が保持されることも幸せなことだとは思うけれど、人として生きることや幸せを感じることっていうのはそれだけではないね。Kくんはどんなときに幸せを感じる?」

 

「あんまり考えたことないですけど、僕はバンドをやっているので楽器を演奏しているときとか、大切な人がそばにいてくれることとかですかね。」

 

「そうだよね。そういうときに幸せを感じる人は多いと思う。じゃあ、もし事故などで一生残る障害を負ってしまったとして、好きな楽器を演奏することができなくなってしまったら?」

 

「…考えたこともないです。」

 

「辛いよね。自分一人では演奏ができなくなってしまったときに、便利な道具とか、周りの人の手助けがあれば演奏できるとしたら、Kくんはどうしてほしいと思うかな?」

 

「方法があるなら、周りの人が協力してくれたら嬉しいです。」

 

「ここに入所している人たちも、同じじゃないかな?」

 

Kさんは、黙ってしまいました。

 

「高齢であったり、Eさんのように身体が動かなかったり、様々な理由で自分の望む通りにできない人たちが、ここには沢山いるよね。そのような利用者さんたちに寄り添うことができるのは、家族以外には私たち介護職だけなんだよ。私たちの仕事というのは、利用者さんの幸せを考え、寄り添い、追及して、その実現に向かって共に進むことなんじゃないのかな。」

 

Kさんはまだ21歳で、仕事中に利用者さんに対して感情的になってしまったり、失敗をすることも多い職員でしたが、とても素直で良い子でした。このときも、Aさんの言葉を一つ一つ噛みしめるように、じっと聞いていました。

 

「Eさんが自分の世界をもっと広げたいからインターネットを引きたいというなら、どうしたらそれが叶うのか、一緒に考えるのが介護の仕事ではない?むしろそれこそが介護の仕事だと、私は思う。だから、もし施設側は許可できないという回答がきたときに、別の方法はないか、どういう形であれば実現できるかをユニット職員みんなで考えていきたいと思っているんだけどな。」

 

私は、Aさんがユニットリーダーで良かったと思いました。私もユニット職員としては、全く同じ気持ちでした。だからこそ最初のKさんの言葉には驚いてしまったのですが、Kさんもこの話のあとに随分自分の中で考えたようでした。

 

6.どんな方法なら

結果的に、Eさんの部屋にインターネット環境を整えるための工事をすることは施設として許可はできないと結論付けられました。しかし、ユニット職員を中心にEさんのご家族様もお呼びしたカンファレンスの場を設け、娘様の面会時にスマートフォンを使ってデザリングをして、その間だけインターネットを使用できるようにするということになりました。

 

この方法では面会中の間しかインターネットを使うことができないので、あまり意味がないかと思いましたが、インターネットを全く使用したことがないEさんはまずどのようなものかを見てみたいという気持ちが強いようだったので、お試しでこのような手法で始めることにしたのです。

 

日常的にインターネットを利用したいということになれば、Eさん専用のスマートフォンを用意するかご家族様の間で考えてみるという話も出ていました。

 

そうして無事に、Eさんはまた自分の世界を広げることに成功しました。私は、この年齢になってもいろいろな新しいことに飛び込んでいくEさんを、心の底からすごいと感じました。

 

その後しばらくして、私は結婚を機に退職することになりました。Eさんにも最後のご挨拶をして、施設を離れてから数か月後に式を挙げました。驚くべきことに、当日Eさんから電報が届いたのです。そこにはこのように書かれていました。

 

「ご結婚おめでとうございます。お二人ともお互いの思いやりで平和なご家庭を築いてください。後輩たちには生きたハッピーアドバイスを、そして周りにはハッピームードを。」

 

また、結婚式に来てくれたKさんは、Eさんからのお祝いを預かってきてくれていました。「施設にバレたらいけないから、利用者と職員の間でモノのやりとりはまずいから、絶対誰にも言わないようにって念を押されましたよ。」と言ってKさんは笑いながら私に手渡してくれました。

 

私は、心から嬉しく思い、またEさんのお心遣いに感謝しました。このとき、私とEさんの関係は利用者と職員ではなく、人と人だったように感じます。どの利用者さんとももちろんそうあるべきだと思いますが、施設という箱の中では何かと難しい部分もあるのです。

 

7.Eさんの存在

私が施設を離れてから3年経ちますが、Eさんはまだお元気で施設に暮らしていると聞きます。少しずつ嚥下状態が悪くなったり物忘れが出てきたりと変化はあるようですが、大きく状態を落としてはいないようです。毎日本を読んで、パソコンに向かい、インターネットも時々覗きながら日々を過ごしているそうです。

 

一度だけ近況を伺うお手紙を出したことがありますが、いつもと変わらない文面でお返事が来ました。そのときは、近くの大型スーパーに買い物に連れていってもらったと興奮した様子で近況が綴られていました。久しぶりの外出だったようです。その外出計画を立てたのはKさんだということでした。EさんがテレビCMを見て、何かジャンクなものが食べたいなと漏らしたことがきっかけだったようです。

 

介護をしていた頃はいつも隣で直接話をしていたので、Eさんに手紙を書くのは初めてだということに気付き、少し驚きました。退職後もこうして関係が繋がっている利用者さんはEさんだけです。

 

Eさんは要介護5で生活のほとんど全てに介護を要する状態にもかかわらず、認知状態は清明で介護される側の気持ちを率直に介護者へ伝えてくれる、貴重な存在でした。私たちが日々当たり前のように行う介助方法についても、「そのように身体を起こされると脇が痛い」「もう少しスプーンに載せる量は少ない方が食べやすい」などと言葉で教えてくれます。

 

特養に入所されている他の利用者さんは、同じことを感じていても言葉で伝えることができない方ばかりです。そのため、こちらもとても勉強になり、介護技術が上がっていくのを感じました。

 

やはり、こちらがこのやり方で問題ないと思っていても、その介護を受ける側の気持ちというものを考えながら行うことを忘れてしまっては、良い介護とは到底言えません。もの言えぬ方の気持ちを汲み取るということは、容易なことではないのです。

 

Eさんのおかげで他の利用者さんも安楽な介護を受けることができていたのではないか、とさえ思います。それほどに、Eさんのように介護者へものを言える利用者さんというのは貴重でした。

 

Eさんが今後さらに新しいものへ挑戦し、その世界をどんどん広げていくことを願ってやみません。そして、施設に入所されている全ての利用者さんが、幸せな毎日を送ることができますように。

 

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