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【小説風事例紹介】特養へ入所後、ADLが向上したYさん

time 2018/07/06

【小説風事例紹介】特養へ入所後、ADLが向上したYさん  関連記事:すさんでいる介護職に読んでもらいたい!小説風の事例集  

1.病院からの入所

Yさんは、私が介護職員として働いている特養に新しく入所してきた90歳の女性でした。半年前まではとてもお元気に1人暮らしをしていたそうですが、トイレで転倒して大腿骨を骨折してしまい、寝たきりの入院生活を送るうちに全く足が立たなくなってしまったということでした。

 

その入院中に背中にはひどい褥瘡(※長い間寝たきりでいることによって圧のかかる部分の皮膚組織が壊死してしまう状態)ができてしまい、トイレへも行けずオムツへの排尿もうまくできなかったことから尿道カテーテルを入れていました。とても明るかったYさんが骨折し入院生活になったことからすっかり気落ちしてしまい、食事もほとんど召し上がらないという状態での入所でした。

 

入所時の介護度は最も重い要介護5でした。何をするにも介助の手が必要であったため、妥当な介護度と思われました。病院からの情報には、「言葉によるコミュニケーションは概ねできるが、認知症も軽度あり」と書かれていました。

 

「けっこう重い人が入ってくるんだなぁ。」というのが当時入職1年目であった私の感想でした。

 

そして入所当日、私は日勤帯に勤務していたため、入所対応をすることになりました。施設に入所する際、共同生活となるため持ってきた荷物を1つ1つ確認し、名前が書かれていなければ記入していきます。これがとても大変な作業なのですが、Yさんはとても荷物の少ない方だったのでさほど時間を要さず終えることができました。

 

Yさんが入所したのは午前10時だったため、ほどなく昼食の時間となりました。食事があまり進まないという情報を得ているため、食事の様子はきちんと観察しなければならないポイントです。Yさんは両手を自由に動かすことができたため、スプーンを持って1人で食べることができますが、すぐにスプーンを置いてしまうため病院ではスプーンで口に入れる介助をしていたということでした。

 

「Yさん、今日は朝から大変でしたね。お昼ご飯は中華丼ですよ。付け合わせにもやしのナムルもあります。どうぞ。」私はそう声をかけて、Yさんの目の前にお盆を置きました。Yさんは少し驚いたように目を見開き、私の顔を無言で数秒見つめました。

 

何か変なことを言ったかな?と思いながら私が微笑み返すと、Yさんは目をそらし、小さな声で「ありがとよ。」と言いました。

 

照れ屋なのだろうか?それがYさんの第一印象でした。Yさんはスプーンを自ら持ち、中華丼を一口食べると、「うめぇ。」と言いました。手が止まったら介助していたと病院から聞いていましたが、Yさんはその手を止めることなく、全て完食しました。入院中の平均的な食事量は3割程度と聞いていたので、これにはとても驚きました。

 

2.褥瘡

翌日、Yさんが入所してから始めての入浴日でした。施設に入所している方は平均して週2回ほどしかお風呂に入ることができません。お風呂で褥瘡部分のガーゼを剥がし、初めて傷口を見た私はとても驚きました。直径10㎝ほどもあるのではないかという丸い褥瘡が横に並んで2か所、腰骨の部分にありました。

 

当時、私のいた施設に褥瘡のある方はいませんでした。稀にできてしまっても、1㎝にも満たない小さな傷程度のものでした。それしか見たことのない私にとって、Yさんの褥瘡はとてもショッキングなものでした。

 

何故このような状態になるまで放っておいたのだろう?食事がとれなかったということから、栄養状態が悪く傷も治りにくい状態だったのだろうと思いましたが、私はYさんの入院していた病院への不信感が拭えませんでした。

 

当然のことですが、傷も褥瘡もひどくなればなるほど治すことが困難になります。私は初めてYさんの褥瘡を見たこの日、90歳という年齢を考えたら今後これは治ることがないのではないだろうか?と思いました。

 

こんなものを腰に抱えてYさんはさぞ痛い思いをしながら毎日暮らしているのだろうと思いましたが、不思議なことに本人は全く痛くないと言っていました。あとで、看護師から「あそこまで壊死が進んでいると、もうその部分は痛みを感じないの。」と教えてもらいました。

 

その日の食事は途中で手が止まってしまったこともありましたが、職員が「もう少し召し上がったらいかがですか?」と声をかけると、再びスプーンを持ち食べ始めたので口に入れるような介助は必要としなかったと申し送りがありました。

 

病院からの情報とは違うなと感じ始めていました。私はこのまま食事をきちんととれるようになったら褥瘡が少しは良くなるだろうか?と思いました。

 

Yさんには施設の近くに住む娘さんがおり、入所してから一週間が経っても娘さんは毎日面会に来ました。午後3時のおやつの頃に来て、お部屋で一緒におしゃべりをしながらおやつを食べ、1時間程度で帰るというのが日課になりつつありました。いつもニコニコと明るい娘さんで、目元がYさんにそっくりでした。きっとYさんも元々は娘さんのように明るい方なのだろうなと思いました。Yさんはこちらから話しかけたことには答えてくれますが、自分から言葉を発することは少なく、笑顔もまだ見たことがありませんでした。

 

まだ入所したばかりで慣れていないだろうし、少しずつ本来のYさんを見せてくれるといいなぁと考えていました。

 

3.施設では食事をとれていた理由

入所して1か月が経った頃、Yさんの褥瘡はほとんど綺麗に治っていました。あまりの回復スピードに、看護師も介護職員も皆とても驚いていました。というのも、施設へ入所してからほとんど毎食きちんと全てを食べていたのです。栄養状態が劇的に改善されたことが褥瘡の回復に大きく貢献したのだろうと担当医師からも言われました。

 

ある日、いつものように娘さんが面会にいらしたので、私は「腰の傷がとてもひどかったのに、もうほとんど完治する勢いなんですよ。お食事がきちんととれているからだとお医者さんも言っていて、職員皆喜んでいるんです。」とお伝えしました。これには、娘さんもとても喜んでくれました。

 

「皆さんのおかげです。本当にありがとうございます。病院では全然食べてくれなくて…。私がどんなに勧めても、味がしないし食べたくないからいらないなんて言っていて…。でもここへ来てからほとんど毎食食べていると聞いて。」

 

「そうなんです。何故でしょうね?私たちは別に何もしていないんですよ。Yさんがご自分で食べてくださるので、何もする必要がないんです。」私がそう答えると、娘さんは首を振りました。

 

「いいえ。ここにいる皆さんのおかげなんです。私、この間母に聞いてみたんです。どうしてお食事食べられるようになったの?って。そうしたらね、声をかけてくださるからなんですって。」

 

「えっ?」思ってもいなかったことだったので、私は瞬時に理解ができず、「どういうことですか?」と聞きました。

 

「あのね、母の食事ってミキサーにかかっていて形がないでしょう?病院でもそうだったんですよ。だから、何を食べているのかわからなくて、味気ないのでどんどん食べる気が失せていったそうなんです。でもここの職員さんたちは、食事を運んできたときにメニューの説明をしてくれるんですって。メインは何で、副菜は何ですよって。それを聞いて口に入れるとちゃんとその料理の味がして、美味しいなと思えるようになったんですって。ここの職員さんは素晴らしいですね。私も母が入院中そんな理由で食べなかったなんて気付けなくて…。もっと早く気付いてあげられたら良かったなと思いました。」

 

目からウロコでした。私は特に意識せず、しかし確かにいつも「今日のご飯は○○ですよ。」と声をかけていました。入所の日、初めての食事のときにYさんが目を見開いて私を見つめた理由がわかったような気がしました。

 

入職してから先輩には「利用者さんの介助をするときには、何をするにもまずは声をかけましょう。いきなり無言で車椅子を押されたりしたらびっくりするし怖いでしょう?何をするときにもまずは声かけです。」と何度も何度も言われていましたが、私はこのとき初めて声かけの大切さを実感しました。

 

4.トイレに行きたい

それからさらに数か月が経ち、Yさんは相変わらず毎日きちんと食事をとり、褥瘡はすっかり完治していました。施設の環境にも大分慣れてきたようで、Yさんから話しかけてくれることも増えました。「おい。」と職員を呼び止め、「食事はまだ?腹減っちゃった。」と言うこともありました。入院中のYさんからしたら考えられないことだと娘さんは喜んでいました。

 

ある日の昼食後、Yさんは私にこう言いました。「なぁ、トイレに行きたい。」

 

私はびっくりして、「えっ?トイレですか?」と聞き返してしまいました。というのも、このときYさんは入所時から変わらずオムツに尿道カテーテルを留置しており、尿意を感じないはずの状態でした。私はYさんに近づき、耳元で「大きい方ですか?」と聞きました。するとYさんは、「そうなんだよ。」と頷きました。

 

入所してからYさんが便意を訴えたり、ましてや何か月も行っていないトイレに行きたいなどと言ったことはありませんでした。2~3日に1回、下剤を飲んでオムツに排便するというサイクルでした。

 

私はすぐユニットリーダーに連絡をとり、トイレに座らせてあげたいと伝えました。何か月もトイレに座っていない上に足が全く立たないので、職員2人体制で介助し、トイレに座ってからも本人の視界に入らない位置で見守ることにしました。

 

10分ほど経って、Yさんが「ふぅ。」とため息をつきました。「終わりましたか?」と声をかけると、Yさんは「うん、出た。」とにっこり笑いました。トイレを確認すると、少量ではありましたが排便がありました。私はオムツになってしまうと便意や尿意というものが薄れていくものだと思っていましたが、何か月もオムツをしていた人でもこうやってトイレで排便することができるのだと驚き、同時にとても嬉しい気持ちになりました。

 

その後、私たちはユニット職員間で話し合い、Yさんの訴えがあるときにはオムツではなくトイレで排便できるよう支援することにしました。職員2人での介助や、トイレに座っている間ずっと見守っていなければならない点などは、慢性的に人手不足の施設職員にとって簡単なことではありませんでした。しかし、便意を訴えることができ、さらにトイレに座ればきちんと排泄することができる人にオムツで排泄をさせることが心苦しく、私はYさんのトイレ介助を頑なに主張しました。

 

5.要介護度の回復

Yさんの初めてのトイレから一週間後、再びYさんは便意を訴え、トイレへ誘導しました。このときには普通量の排便が確認されました。訴えたときにトイレへ連れていってもらえる安心感からか、Yさんはその後徐々に「トイレへ行きたい。」という回数が増え、2~3日に1度下剤を飲まなくても自然に排便できるようになりました。

 

トイレで排便をするようになってからも尿道カテーテルは入っていましたが、私は便意を感じるようになったということは尿意も感じることができるのではないか?と思い、看護師に相談しました。

 

看護師も含めた職員間で話し合い、試しにカテーテルをとってみようかという提案が出ました。Yさんは尿道カテーテルを入れなければならない病気を持っているわけではなく、もし自力で排尿することができれば抜去できると考えたからです。

 

数日後、実際にカテーテルを抜きました。本人には「おしっこしたくなったら教えてくださいね。」と伝え、その日1日様子を見ましたが、本人から尿意の訴えはありませんでした。しかし、つけていた尿パットには十分な量の排尿が確認されました。そのため、もう数日様子を見ることにしました。

 

その後もコンスタントに排尿があり、尿意の訴えはありませんでしたが、便意を感じてトイレに行ったときに排尿もしているのを何度か確認することができました。看護師からも「カテーテルをする必要はないですね。」と言われ、Yさんは自然排尿に戻ることができました。

 

私は入所してからこんなにも状態が良い方へ変わっていく利用者さんに出会ったことがありませんでした。入院中には寝たきりで気力も全くなかった方が、今では食事も自分できちんと食べ、褥瘡も治り、オムツと尿道カテーテルだったものがトイレで排泄できるようになったのです。

 

そして、Yさんはその後もどんどんパワーアップしていきました。離れた場所にいる職員に用があるときに、Yさんは「おぉい。」と大きな声で呼ぶことが度々ありました。しかしある日職員がYさんに車椅子の操作の仕方を教えると、Yさんはあっという間にやり方を覚え、自分で移動できるようになりました。それからというもの、用があるときには自分で車椅子を漕いで職員のところまでやって来て、大きな声を出さずに「なぁ。」と声をかけるようになりました。

 

入所から1年が経った頃、要介護認定の更新がありました。そして驚くべきことに、Yさんの介護度は要介護4と判定されました。

 

6.眠るように

それから約1年、YさんはそのままのADLを維持し続けました。相変わらずトイレで排泄することができ、食事もきちんと摂取することができていました。しかし、あるとき風邪を引いたことから肺炎になってしまい、ベッドで寝ている時間が増えてしまいました。美味しそうに食べていた食事も徐々に召し上がらなくなってしまい、ほどなくしてYさんは眠るように亡くなりました。

 

娘さんはYさんの容態が悪くなっていっても、入院させようとはしませんでした。「ここにいるのが母も幸せだって、私にはわかるんです。」

 

Yさんも病院へ行きたいとは一度も言いませんでした。食事がとれなくなっても点滴などを希望されなかったため、最期のYさんのお身体は浮腫みなどが全くなく、とても綺麗なお姿でした。

 

Yさんが亡くなって半月ほど経った頃、久しぶりに娘さんが施設を訪れました。「実は今、施設の契約解除の手続きをしてきたところで。母のことでは本当に何から何までお世話になりました。病院を出てこちらへ来て本当に良かったと心から思っています。もう昔の母の笑顔は見られないのかと思ったのに、ここへ来て母は昔のように笑うようになりました。皆さんのおかげです。」

 

そう言って、娘さんは少し涙ぐみました。私もそのお言葉を聞いて涙が出ました。

 

娘さんが部屋の荷物をまとめると言うので、私も手伝いました。Yさんの部屋には私たち職員が作った一冊のアルバムがあり、そこには施設に来てからのYさんの写真が何枚も収められていました。

 

「これは、私が持って帰って家族で懐かしみながら見ようと思います。」娘さんはそう言ってアルバムをカバンに入れました。

 

「本当にありがとうございました。」何度も頭を下げながら娘さんは施設を後にしました。その笑顔はYさんにそっくりでした。

 

私は娘さんの後ろ姿を見送りながら、こちらこそYさんにはいろいろなことを教えていただいたと思い返していました。

 

私はYさんに出会うまで、介護を受ける人たちは衰えていくだけだと思っていました。昨日できたことが今日できなくなってしまうということは何度も目にしていましたが、その逆があるとは思っていませんでした。

 

Yさんは、入所してからできるようになったことがとても沢山ありました。入院中には寝たきりで食事もままならなかったにもかかわらず、施設へ来てからとても人間らしい生活を送るようになったのです。それを証明するかのように、介護度も軽くなりました。

 

7.意欲という原動力

私はYさんと出会って、人間は意欲が全てなのだということがわかりました。意欲がなければ、食べられる身体機能があっても食事をとることができません。トイレへ行くことも、車椅子を動かすことも身体を動かすことも、ご本人が「そうしたい」と思わなければ、できないことです。意欲を再び持つことさえできれば可能となることも本当は沢山あるのです。しかし要介護認定というものは、そういったものをひっくるめて「できない」と判断してしまいます。

 

私たち介護職は、利用者さんのできないことを支援することが仕事です。しかし本当はそれだけでなく、本当にできないのか?何故できないのか?何かを改善すればできるようになるのだろうか?と考えながらその方に関わる必要があるのだと思います。できない理由があるのであれば、それを取り除くことでその人のADLやQOLが向上するかもしれない。そのような視点を介護職は失ってはいけないのです。今、「できない」と思っている目の前の人は、本当は「できる」のに、何かの要因が邪魔をしているだけなのかもしれません。介護職はそれを見極めるスキルを身につけている必要があります。

 

Yさんは、私に多くのことを教えてくれました。介護職として何が必要なのか。どう利用者さんと関わっていくのか。とても多くのことを学ばせていただいたケースでした。その後私は2年ほど同じ施設で勤めましたが、Yさんほど入所後にADLが向上した方はいませんでした。きっと天国でもさらにパワーアップしているのだろうなと、Yさんの笑顔を思い返す度に私も笑みがこぼれます。

 

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