社会福祉士コラム

【在宅介護体験】あいつは好きで介護をしている

在宅介護が始まった経緯

私はずっとヘルパーや施設での介護の仕事に携わってきました。介護の仕事を始めたころはまだ20歳、その頃の祖父母はまだまだ元気で農作業をしていました。

 

その頃、仕事でたくさんの利用者とかかわる中で、他人のお世話ばかりしてるけど、「自分のおじいちゃんやおばあちゃんが寝たきりになったとき、自分が仕事で忙しくてお世話が出来なかったりするのかな」、「自分が他人のお年寄りの世話をして、自分のじいちゃんばあちゃんを他の人に見てもらうことになるのかな?」と漠然と考えていました。

 

それから20年近くが経ち、おじいちゃんが寝たきりの状態になりました。ずっと介護の仕事にはついてましたが職場は変わっていました。その頃は施設で働いていましたが、いろんな職場のいろんな内情を知り、他人に任せたくない、という気持ちが大きくなっていました。そのため自宅での介護を行うようになりました。

 

家族の協力がない

私はずっと介護の仕事についていましたが、私の親族は介護と関係のない仕事についていました。私は、バツイチで子供もいましたし、働かないと生活できない状態です。平日はフルタイムで仕事をしていました。

 

姉は結婚し、もちろん旦那もいて、介護をはじめた当時は子どももおらず、専業主婦でした。また、私の母親も専業主婦です。介護が必要になった当初は私と父母、祖父母が同居、姉は近隣に暮らしていました。姉は時間があるので毎日実家に遊びに来ていました。

 

そんな中、介護にあたるのは私と、当時は元気だったおばあちゃんでした。毎日の介護の状況は、私は自宅近隣の介護施設で働いていたので、朝下着を変えて、食事の介助、昼休みに戻りまた下着を変えて食事介助、夕方戻れば食事介助や下着を変える、の毎日でした。

 

そんな中、昼に帰れば母と姉がワイドショーをみながらゴロゴロ寝転んでいる。姉や母に介護の期待はしてませんでしたが、それでも腹はたちます。

 

また、「じいちゃんどう?元気?」と聞かれると、特に腹立たしく、自分で見に行けば済むことなのにと思いました。

 

また、「あいつは好きで介護をしている」というような会話もよく耳にしましした。何度も私だってうんこはくさい!とけんかになりました。

 

おじいちゃんは頑固で医者の受診を元気な頃から嫌いました。最後には往診をお願いしましたが、少しでも元気な時は追い返す様なおじいちゃんだったので寝たきりになってもまだ意識がはっきりしてるころには往診は無理だと判断しました。

 

そのため、介護保険の認定もかなり最後まで受けることができませんでした。できたとしても、デイサービスやヘルパーを利用することはなったと思いますが。

 

私は、ベットを利用してくれれば介護が楽だったのにと思いましたがベットも本人は嫌がったと思います。

 

一言、いつもありがとう、いつも大変だね、あんたばっかりに悪いね、といってくれれば気持ちは楽だったと思います。

 

在宅介護で潰れないようにするには

真剣にならないことです。先々のことを考えすぎたり、完璧を目指したらいけないなと思います。

 

おじいちゃんは寝たきりになってから半年で亡くなりました。ある朝、食事介助に行くと、痰が絡まっていて、ガーゼでふき取ってると息が止まりました。まるでスイッチを押したかのようでした。

 

その頃、よく考えていたのは、一体いつまで続くんだろう、ということでした。後半年、でも、1年、10年でもいい、最後の時がわかればそれなりに手を抜いたり、反対にもっと親密に介護したりができるのですが、いつまでかがわからずに、中途半端な気持ちになってしまっていた時に息を引き取ったような気がします。

 

しかし、おじいちゃんが望んでいたように畳の上で、このまま死んだら本望、本望が口癖だったおじいちゃんに、思いの通りに死なせてあげることができたように思います。

 

他人からみれば、もっと早く病院につれていけばよかったのに、とか思われてるのではないかと感じることもありますし、また、元気なころから物にあふれた部屋での生活だったのですが、特に片づけることもせず、このままの中での介護でしたので人から見たら、片づければいいのにと思われていたと思います。しかし、私たち家族はいつも近くで「このままが良い」というおじいちゃんの言葉を聞いていたのでその言葉の通りにしただけです。

 

家族であっても「あいつは好きでやっているだ」と言われるくらいですので、在宅介護の大変さは端から見てもわかりません、でも本当に大変な事です。自分が潰れないためにはいい加減なくらいでちょうどいいと思います。

 

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