社会福祉士コラム

【療育体験】広汎性発達障害の我が子の自立

 

障害の種別

広汎性発達障害

 

障がいが発覚した経緯

乳幼児の頃から目が合わないことが多く、歩くようになってからは目を離すとどこかへ行ってしまうため気になってはいました。

 

3歳の時に、てんかん発作を起こし救急搬送されました。発作自体はすぐに収まったのですが、そのとき診て頂いた医師から「お子さんに障害は?」と聞かれ、「診てもらったことはありません」と答えると、1度調べてもらった方がいいと専門医を紹介してもらいました。紹介先の病院を受診して様々な検査をして頂いた結果、広汎性発達障害との診断になりました。

 

 障がいがあって苦労した経験

苦労は数えきれないほどありました。私はてんかんはないのですが、母がてんかんを持っており、娘に障害があると分かった時に夫から「こいつがてんかんをもっているのも障害があるのもお前の血のせいだ!俺の子とは認めないし育てない」と言われ、離婚しました。

 

 

幼い子供を抱えて一人では生活できないので、養父母の元へ戻りました。幸い、養父母は資産が多く暮らしには困らなかったのですが、娘との生活は苦労の連続でした。

 

 

娘は食事の好き嫌いはあまりないのですが、時間的なことや決まり事などは全く理解できません。待ち合わせなどはできないので、必ずどこに行くにも一緒です。じっとしていることが難しいので、映画館や飲食店などにはまず入れません。

 

 

私は段々と孤立していきました。障害者の親の会などにも参加をさせて頂いた時期もあります。ですが、考え方になじめずすぐに参加を辞めてしまいました。

 

 

思春期になると恋愛感情が芽生え、作業所の職員を好きになったことで、他の利用者と喧嘩をして連絡が来たり、作業所で知り合った障害が軽度の子に誘われて、20歳以上も年上の男性との食事に出かけたりと今でも苦労は絶えません。

 

 

私は元夫の暴力と別れるきっかけになった暴言により、人を信用できなくなっていました。

 

 

また、順番通りであれば私の方が先に他界するので、娘を何とか自立させたいという気持ちがありました。

 

 

障害者の親の会全てがそうだとは思っていませんが、私が参加をさせて頂いたところは、親御さんが一生この子と暮らしていきたいという考えの方が圧倒的で、私は違和感を感じました。

 

 

ある日突然のことでした。養父母が他界したのです。それとともに、養父の妾の子供達から追い出されるように家を追い払われ、転居を余儀なくされました。

 

 

そこからは本当の地獄でした。シングルマザーで発達障害の子を持つ親。週6日働き、休日は子どものための用事を済ませるという日々。その中で転機がありました。

 

 

成長した娘が時々癇癪を起して私に暴力をふるっていたのですが、偶然知り合った娘と歳が近い方が娘と仲良くなってくれたのです。その方は、何かあると家を訪ねて来てくれては娘と一緒にご飯を作ってくれたり、面白い話を聞かせてくれたりと楽しい方です。

 

また、娘は人見知りが激しいのですが、なぜかどんなに荒れているときでもその方が来るとピタっと収まり、ニコニコと会話をするのです。それ以来、すっかり家族のようにその方とおつきあいをさせて頂き、親のような歳の私のことも気にかけて下さっています。

 

その方が福祉関係のお仕事をされていることから、障害年金やグループホームなど正しい知識を教えて下さり、娘はグループホームに3年前に自立することができました。

 

たまに同居者とトラブルを起こしては世話人さんからお電話頂くこともありますが、それでも娘が私以外の人を頼り独立できることなど考えられなかったので、感謝でいっぱいです。

 

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