社会福祉士コラム

【小説風事例紹介】子育てママのご褒美メイク

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1.サロンで出会ったYさん親子

私の勤める社会福祉協議会には、子育てサロンというものがあります。親子で利用することの出来る場所で、元々公民館として使われていた部屋を遊び場として開放しているのです。遊具や本、おもちゃなどがあり、子供を遊ばせるだけでなく、同じように子育て中の親同士が交流を持てる場所にもなっています。

 

この週3回開所しているサロンでは、地域のボランティアさんがスタッフとして活動してくださっています。利用するのは概ね0~3歳ほどの子供を育てているママさんたちで、お友達同士で利用される方や市役所などから案内を受けて利用する方、他県から引っ越してきたばかりで周りに友達がいないという理由で利用し始める方など、様々です。

 

今回お話しするYさんは、二人の男の子を抱えたママさんでした。利用頻度は一か月に一回~二回ほどで、あまり多くはありませんでした。長男のKくんは3歳、次男のHくんはまだ10か月でした。Hくんはとても大人しく、泣くことも滅多にありませんでした。話しかけても反応が薄く、起きているのか寝ているのかわからない子供でした。初めて私がYさん親子にお会いしたとき、そんなHくんの様子が気になりました。

 

「全然泣かないで、いい子ですね。人見知りもしないみたいですね。」とお母さんのYさんに話しかけると、Yさんはこう答えました。「実は障害がありましてね、この子を産んだときには難産で…。お産が長時間に及んだために、途中でこの子の脳に血流がいかなくなって、障害が残ってしまったんです。頭の形、少し変でしょ?それもそのときの影響でね。だから声をかけても反応が薄いし、10か月経つのにまだハイハイもしないんですよ。意識がないわけではないんですけどね。」

 

確かに、Yさんの言うようにHくんは頭のてっぺんがひょろっと出っ張ったような形をしていました。お話から察するに、吸引分娩をしたのでしょうか。声をかけるとゆっくりとこちらに目線を向ける様子から、何もわかっていないわけではないことがわかります。しかし、他の赤ん坊とは明らかに違い、声を出したり笑ったりすることが極端に少なく、静かな子供でした。

 

2.赤ちゃん返りをしたKくん

対照的に、長男のKくんは暴れん坊でした。とてもやんちゃで、サロンの遊具を壊してしまうのではないかと思うほど力一杯走り回って遊びます。スタッフとして子供の遊び相手をしているボランティアさんは高齢の方も多いため、追いかけるのが大変です。思い切り遊ぶのはとても良いことですが、怪我をしないかとヒヤヒヤしてしまいます。お母さんのYさんもKくんに気を配りますが、Hくんを常におんぶしているため走って追いかけることはできません。

 

最初は、男の子とはいえとびきり元気だなぁ…くらいにしか思っていませんでした。しかし、何度かお会いするうちに、3歳にしては内面があまりにも幼いように思えてきました。

 

Kくんは、遊んでいるときは本当に楽しそうに子供らしい笑顔を見せます。しかし、あまりに聞き分けが悪く、サロンが閉所する時間になってYさんが帰ろうと声をかけてもKくんは遊び足りない様子で帰ることを嫌がります。それが尋常ではなく、床に大の字になって「嫌だ、嫌だ」と大暴れするのです。そのようなときには言葉がわからなくなってしまったかのようで、こちらの声は耳にも入りません。それがほとんど毎回で、言い聞かせることが難しくYさんはいつもKくんを引きずるようにして帰っていきます。

 

「完全に赤ちゃん返りをしてるね、Kくんは。」お昼休みに、職員のMさんが言いました。「やっぱりそう思います?もうすぐ4歳になるのに、あの感じはあんまりないですよね。Kくんには障害も知能の遅れもないわけだし…。」

 

Yさん親子がサロンを利用し始めたのは最近なので、Hくんが生まれる前のKくんがどのような様子だったのかはわかりません。しかし、サロン担当職員であるMさんはYさんともよくお話をしているようで、Hくんが生まれてからKくんは急に赤ちゃんに戻ってしまったようだと聞いているそうでした。

 

「Hくんはまだ10か月だし、どうしたってお母さんはHくんにかかりっきりになるでしょ。それが当たり前のことなんだけど、Hくんには障害もあるから余計に気にするよね。だからKくんは寂しいんだよ。お母さんにもっと構ってほしいんだよね。Kくんの気持ちも大事にしなきゃいけないけど、お母さんも身体一つしかないし、難しいところだよね。」

 

3.新しいイベント

Yさんは気丈な方で、Hくんを背中におぶったままKくんの相手をするのは傍から見ていても大変だと思うのに、いつも穏やかな方でした。暴れるKくんに対してもイライラした様子を全く見せず、優しく声をかけます。私は、素晴らしい人だなと思う反面、無理しているんじゃないだろうか、と少し心配もしていました。Yさんのご主人は仕事が忙しく、朝早くから出て行って終電近くで帰ってくるのだと聞いたことがありました。つまり、子育てはほとんどYさん一人でやっているようです。サロンに来て他のお母さんと話していることもありますが、そこでも愚痴や弱音を吐いているところを見たことがありませんでした。

 

Yさんの不安や大変な気持ちは誰が聞いてくれるんだろう?誰か、そういうものを受け止めてくれる人がちゃんといるんだろうか。そんな思いでYさんを見ていました。家に閉じこもらず、こうしてサロンに顔を出してくれるだけでもまだ良いと思いました。

 

ある日、Mさんから「サロンでこんなイベントやりたいと思っているんだけど」と話がありました。手渡されたチラシには、『毎日頑張っているママに、ご褒美メイク!』と書かれていました。

「メイク…子育て中のママを対象にしたイベントですか。いいかもしれないですね。今までは割と子供メインのイベントばかりですからね。」子育てサロンではこれまでもいろいろなイベントを行いましたが、そのほとんどが子供のためのものでした。

 

「そうなんだよね。子供のためのイベントはもちろんだけど、たまにはママ向けのイベントも良いと思わない?いつも頑張っていて、ゆっくりメイクなんてする暇もないでしょ。この間別のイベントで関わった化粧品メーカーの方々が、何か自分たちにもボランティアで協力できることはないかって話をくれてさ、それでこんなのを思いついたんだよね。プロの人にメイクしてもらえる機会なんてそうそうないし、しかもタダでやってもらえてその間子供見ててもらえたら最高でしょ!」

 

4.Yさんへお誘い

Mさんの案は他職員からも好評だったため、順調に開催の運びとなりました。事前受付制とし、ママがメイクをしてもらっている間は子供を預けることができるようにその日はボランティアさんも増員することにしました。参加費は無料で、いつもサロンを利用していない方でも参加することができます。

 

Mさんの考えは子育て中のママの心を掴み、予約開始の日は電話が沢山かかってきました。私はこのチラシを見たときにYさんのことを思い出していました。その日、ちょうどYさんがサロンにいらっしゃったので、イベントのチラシを渡しお誘いすることにしました。Yさんはいつもほとんどメイクをしておらず、眼鏡をかけて髪も後ろで無造作に束ねていました。

 

「こんなイベントをやるんですけど、Yさん良かったらいらっしゃいませんか?」そう言ってチラシを見せると、Yさんは少し照れたように笑ってこう言いました。「メイクなんて、もう何年もまともにしていないなぁ。髪の毛もいつもこんな適当だし、急にプロの人にメイクしてもらうなんて…似合わないんじゃないかしら。」そう言いながらも、興味を持ってもらえたようでした。「そんなことないですよ。Yさんいつもお子さんのことや家族のことを考えてばっかりじゃないですか?たまには自分のオシャレをしてみるのも良いと思います。プロの方にタダでメイクしてもらえるなんて、お得だと思いません?」

 

Yさんはふふっと笑い、「じゃあ行ってみようかな。場所もいつものここだしね。」とその場で申し込みをしてくれました。私はYさんが少しでも気を休めることができたらと思いました。

 

その日もKくんは時間いっぱい遊んだあと、いつものように帰るのを拒みました。Yさんが玄関で靴を履くよう促しても「嫌だ、できない。履けない!」とうつ伏せになり手足をバタつかせていました。ボランティアさんも手伝って、ようやくサロンを後にするまでに20分かかりました。Yさんはため息一つ漏らさず、「本当にいつもすみません。」と言って笑顔で帰っていきました。

 

5.そして当日

イベントの当日、約束の時間より少し遅れてYさん親子が現れました。すでに他の方から順番にプロによるメイクが始まっていました。

 

「すみません、遅れちゃって…。Kが今日に限って出掛けにぐずっちゃって。来るのやめようかと思ったくらいです。いつもサロンに来るのは楽しみにしてるのにどうしたのか…。」そう言うYさんの隣にはいつもより元気のないKくんがいました。

「そうだったんですか、大変でしたね。Kくんどうしたの?今日はあんまり遊びたくない気分?」

「別に…」Kくんが俯いたまま答えました。

 

「あっ、Kくん来たのね、こんにちは。」いつも遊んでくれているボランティアさんが声をかけました。すると、いきなりスイッチが入ったように「この間の続きやるぞぉー!!ぶーーん!!」と、飛行機のマネをしながらサロンの中を駆け始めました。

 

「あら、やっぱり来て良かった…。今日はどうしたのかしら。いつもごめんなさいね。ボランティアさん優しいからって甘えちゃって。家ではこうやって力一杯遊ぶことができないし私も相手してあげられないから…。」Yさんはいつものように穏やかな調子でそう言いました。「いいんですよ、どこのお母さんだってそうです。HくんがいるしいつもKくん優先にはしてあげられないですもんね。KくんのためにもYさんの息抜きのためにも、これからも来てくださいね。」

 

そして、Yさんの順番が来ました。いつもHくんをおんぶしていますが、このときは私が抱っこしているので、と預かりました。「プロの方にメイクしてもらうのなんて、結婚式以来かも。」と、Yさんはとても嬉しそうでした。そのときはお母さんではなく、一人の女性の顔をしていました。

 

20分ほど経って、Yさんが戻ってきました。春色の柔らかいメイクを施した素敵な女性になっていました。「なんだか自分じゃないみたい。たかがメイクなのに、こんなに嬉しいものなんですね。プロの方にやってもらうなんてドキドキしちゃった。本当にありがとうございます。」心なしか、Yさんはいつもより饒舌でニコニコしているように見えました。

 

6.Yさんの本当の気持ち

「Kくん、どう?お母さん戻ってきたよ。」と声をかけると、Kくんは口を開けて驚いていました。「うわぁ…お母さん綺麗。」

 

その言葉を聞いたYさんはとても嬉しそうでした。Hくんも微笑んでいるように見えました。「今日は本当に来て良かったです。こんなに心が晴れやかになるとは正直思っていませんでした。毎日大変だけど、なんか頑張っていて良かったと思いました。主人の反応も楽しみです。」

 

「Yさん、いつも優しくてKくんとHくんの良いお母さんですもんね。イライラする様子も見せないし、こちらが心配になってしまうくらいですよ。あんまり頑張りすぎず、サロンにはいつでも来てくださいね。一人で頑張る必要はないんですよ。」そう言うと、Yさんは少し驚いたような表情を見せました。

 

「優しい?私が…?そんな、いつもKが言うことをきかないときには手を上げないよう必死で抑えているんです。Kの寂しい気持ちを考えたら出来る限り相手をしてあげたいと思うのに、どうして優しくできないのか…。いつもそんなことを考えているんですよ。だからそんなふうに思ってもらえていたなんて、びっくりしました。」

この言葉にはこちらが驚きました。「えっ、Yさん全然そんなふうに見えないですよ。いつも優しく接していて、本当にすごいなと思っていました。」

 

「Kもそう思ってくれているなら良いんだけど。どうしてもHのことを優先させてしまってあの子には可哀想な思いをさせているから…。実家も遠くて、主人の仕事の関係でこの辺りに住み始めたけどお友達もいなくて。この子たちのために毎日頑張っているつもりだけど、ずっと家にいると息が詰まりそうになるんです。だからこうして時々ここへ…。それだけで大分助けられているんですよ。」

 

やっぱり、無理していたのだなと思いました。Hくんの今後のことやKくんのこと…きっとYさんの胸の中にはいろいろな不安やもどかしさが渦巻いているでしょう。いつもはこのようなことを口にしないYさんから今日こんな話が聞けたのは、メイクの力かもしれません。

 

7.Yさんの変化

その後もYさん親子は定期的にサロンへ遊びに来てくれました。初めて胸の内を語ってくれたあの日以降、Yさんは時々愚痴のようなものをこぼすようになりました。しかしそれは後ろ向きなものではなく、口に出すことで心をリフレッシュさせているかのようでした。

 

「この間KがHのご飯を取り上げちゃって。離乳食なのに、食べようとしたんですよ。さすがに怒っちゃった。別に本気でそれが食べたかったわけじゃないんでしょうけどね。来月で4歳なのに…本当にお母さんは大変。」はぁ…とため息をつきながらも、ふふっと笑ってそんなことを話せるようになったYさんの横顔は、メイクをしたあの日よりも綺麗だと思いました。

 

大変なことを大変だと他人に言うということは、意外と難しいものです。本当に大変だったり不安だったりするときほど、口に出せず一人で抱えてしまいがちです。今まで穏やかそうに見えていたYさんの心の中は、きっともやもやしたもので一杯だったのでしょう。最近では少しずつそれを外に出せるようになってきたからか、今までよりもリラックスしているように見えました。

 

そしてKくんも、まだまだ他の3歳に比べると幼い言動は目立ちますが、それでも少しずつ変わってきたように思います。帰りたくないと騒ぐ時間も少しずつ短くなってきました。それに比例するように、Hくんも表情の変化がよくわかるようになってきました。最近では声をかけると微笑んでくれます。

 

あの日のメイクはきっかけにすぎなかったのでしょうが、それでもお誘いして良かったなと思いました。いつもより綺麗になった鏡の中の自分に、Yさんは少し勇気付けられたようでした。

 

 

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