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【社会福祉士】ウェッブ夫妻 ナショナル・ミニマムの提唱者

ウェッブ夫妻(夫:シドニー・ウェッブ、妻:ビアトリス・ウェッブ)

夫妻ともにイギリスの社会学者、経済学者、フェビアン主義の理論的指導者

夫:シドニー・ウェッブ(1859―1947)

ロンドンの下町に生まれ仕事のかたわら、シティ・オブ・ロンドン・カレッジなどで学び、植民地省の高級官僚になる。

画像はシドニー・ウェッブ。

妻:ビアトリス・ウェッブ(1858―1943)

裕福な実業の娘として生まれ、「社会進化論」のハーバート・スペンサーに社会学を学んだ。ロンドン調査と「貧困線」で有名な,チャールズ・ブースと協同研究を行った。ブースの義理の従妹にあたる。

フェビアン主義

フェビアン協会が、1884年にイギリスの社会主義者団体として設立された。ウェッブ夫妻らが理論的指導者となり、バーナード=ショーなど知識人を中心とした社会主義団体に成長した。革命や暴力ではなく、議会政治を通じた緩やかな社会主義の実現を目指した。そのため革命的なマルクス主義には批判的である。暴力革命を抑止する思想や運動をフェビアン主義と呼ぶ。後のイギリス労働党に発展する

ナショナル・ミニマム

ナショナル・ミニマムは夫妻が主著『産業民主制』(1897年)ではじめて提唱した政策構想である。すべての国民に最低限の生活水準を維持するための所得保障がなされなければならないと主張し、労働条件が悪く生産性の低い産業で働いている労働者の生産性・賃金を上げることが重要であるとした。最低賃金、最長労働時間、衛生安全、義務教育の四つの項目からなる。

また、「ゆりかごから墓場まで」といわれる近代福祉国家の礎を築いたとされるイギリスのベヴァリッジ報告(1942年)においても、ナショナルミニマムの考え方を根幹とし、ミーンズテストに基づき設けるとした。

人柄やエピソード

"ウェッブとビアトリスの出会いは、当時ビアトリスが執筆中だった協同組合運動に関する本の資料を、ウェッブが提供してくれるのではないかという考えから準備され、1980年1月初めにビアトリスの従姉マーガレット・ハークネスの家で実現した。ビアトリスはその時の印象を1890年2月14日の日記に次の様に書き残している。

「極めて貧弱な身体の上に大きな頭をのせたとても小さな男、彼の百科事典的知識を十分に物語っている額の広さ、ユダヤ人のような鼻、突き出した目と口、ややだらしない眼鏡、擦り切れて光っているブラック・コート、全体として何となくロンドン商人とドイツ人教授の間のような感じがする。…けれども私はこの男が好きだ。発言の率直さと開放的で想像力豊かな暖かい心が彼を優れたものにしている」"

金子光一「ビアトリス・ポッターの思想形成過程」,淑徳大学研究紀要 第28号 1994

"一週二度ずつ、シドニー・ウェッブという人の講義を聴きに行く。この人は昨年一度日本へ来たこともあり、僕も多少知ってるが、有名な社会主義者だ。英国ではソシアリストというたところが少しも乱暴とか革命的とかいう意味はない。ただ、私有財産をだんだんに少なくして公有財産に移し、富者の所得の一部分を租税として取って貧者のために用いようというだけのことだ。これはどこの国でもやっているが、ますますその主義を推し広めようというのだ。シドニー・ウェッブの奥さんはやはり学者だ。本も夫婦で共著にする。講義も交代にやる。演説などはウェッブよりも奥さんのほうがウィットがあって面白い。先だって茶に呼ばれて行ってみたら、二十人くらいの男女のお客が来ていた。これは毎月三回ずつきめてやるのだそうだ。そのお客もなかなか揃ったインテレクチュアルな連中で、話が面白かった。"

上田貞次郎の妻てい宛書簡、1913年11月23日付

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