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【第3回】紙と鉛筆と認知症のCさん ~Cさんの今まで~

time 2019/03/12

【第3回】紙と鉛筆と認知症のCさん ~Cさんの今まで~

Cさんの状況報告を兼ねて、何か打ち込めることはないかと息子さんに電話で尋ねたところ、絵を描くのが大好きだったとの情報を得られました。

 

息子さんから聞いた、Cさんの話です。

 

Cさんは某県の山奥ののどかな村に生まれましたが、家が貧しかったため丁稚としてこちらに移り住み、生家で住んでいたのは10年ほどだったそうです。

 

戦争が始まり、住んでいた町は焼け野原になりました。仕事どころか家もない、とにかく何もかもなくなりました。Cさんは拾った鉛筆と紙で似顔絵や風景画を描き、それを売って小遣いにしていました。

 

学校に行ける余裕はなく、学問的なノウハウもなく鉛筆一本の我流でしたが、奉公先で「お前は馬鹿だが絵は天才的だ」とよく言われました。

 

その後、紆余曲折を経て現在の実家で金物屋を始めました。当初はそれなりに流行っており、頑張ってそれなりの蓄えはできたようですが、時が経つにつれ、わざわざ金物屋で買い物をする人はいなくなってしまいました。

 

店には近所の人が立ち寄って雑談する程度で、暇人の集会所のようになっていました。それ以外の時間はゴロゴロ寝ているか、絵を描いて過ごしていました。「個展を開いてみたいなあ」「絵で稼げたらなあ」とよく話していました。

 

母は呆れて「子どもよりタチが悪いわ」とぼやいていましたが、幼いころから苦労してきたこと・頑張って店を切り盛りしてきたことを誰よりもよく知っており、父の寛容さ・優しさに惚れ込んでいたので、それ以上に文句は言わず、工場や清掃のパートをしながら家計を支えていました。

 

とにかく絵を描くのが好きで、旅先でもメモ帳やパンフレットの裏等を使ってマイペースにスケッチを始めることがありました。思い出を振り返るのは、写真よりも絵でした。

 

母が亡くなった時、絵を全て棺に入れてしまいました。私は猛反対しましたが、「時間ならいくらでもあるし、また描けばいい。母さんに持って行ってほしいんだ」珍しく毅然とした父の態度に、何も言い返せませんでした。

 

息子さんは出張が多くなかなか面会に来る機会がなかったのですが、定期的に電話や手紙をくれました。絵に関する情報から間もなく包みが届き、使い古された鉛筆のセット・新品のスケッチブックが入っていました。

 

「認知症になってからは絵を描くことも忘れてしまったようで、部屋の押し入れにしまってありました。父が好んで使っていた鉛筆のセットです。スケッチブックも一緒に入れておきます。私ももう一度父の描く絵を見てみたいですが、体が覚えているかどうか…」と息子さんからの手紙が添えられていました。

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