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【忘れない】障害者支援施設「津久井やまゆり園」相模原殺傷事件

time 2018/12/05

【忘れない】障害者支援施設「津久井やまゆり園」相模原殺傷事件

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【忘れない】障害者支援施設「津久井やまゆり園」相模原殺傷事件

 

事件の概要

2016年(平成28年)7月26日未明、神奈川県相模原市緑区千木良476番地にある、神奈川県立の知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」に、元職員の植松聖被告が複数の刃物で就寝中の入所者らを襲撃、入所者19人を刺殺し、入所者・職員計26人に重軽傷を負わせた大量殺人事件。殺害人数19人は、第二次世界大戦(太平洋戦争)後の日本で発生した殺人事件としては最も多く、戦後最悪の大量殺人事件として、日本社会に衝撃を与えました。植松被告が「意思疎通できない障害者は不幸しかもたらさない」と語った動機は、社会に大きな衝撃を与えた。殺人罪などで起訴された元職員の植松聖(さとし)被告(28)は「彼らは人ではない」などと犯行を正当化する主張を今も続けている。

 

2月15日に東京都千代田区の議長公邸を訪ね、土下座して渡すよう頼み込んだという。「障害者は不幸を作ることしかできません」「第三次世界大戦を未然に防ぐ」など、常軌を逸した内容が並ぶが、「作戦」として夜間に職員を縛るなど、今回の犯行を事前に予告した部分もある。共同通信が伝えた手紙の全文は以下の通り。

 

衆議院議長大島理森様

この手紙を手にとって頂き本当にありがとうございます。

 私は障害者総勢470名を抹殺することができます。

 常軌を逸する発言であることは重々理解しております。しかし、保護者の疲れきった表情、施設で働いている職員の生気の欠けた瞳、日本国と世界の為(ため)と思い、居ても立っても居られずに本日行動に移した次第であります。

 理由は世界経済の活性化、本格的な第三次世界大戦を未然に防ぐことができるかもしれないと考えたからです。

 私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です。

 重複障害者に対する命のあり方は未(いま)だに答えが見つかっていない所だと考えました。障害者は不幸を作ることしかできません。

 今こそ革命を行い、全人類の為に必要不可欠である辛(つら)い決断をする時だと考えます。日本国が大きな第一歩を踏み出すのです。

 世界を担う大島理森様のお力で世界をより良い方向に進めて頂けないでしょうか。是非、安倍晋三様のお耳に伝えて頂ければと思います。

 私が人類の為にできることを真剣に考えた答えでございます。

 衆議院議長大島理森様、どうか愛する日本国、全人類の為にお力添え頂けないでしょうか。何卒よろしくお願い致します。

    文責 植松 聖

 作戦内容

 職員の少ない夜勤に決行致します。

 重複障害者が多く在籍している2つの園を標的とします。

 見守り職員は結束バンドで見動き、外部との連絡をとれなくします。

 職員は絶体に傷つけず、速やかに作戦を実行します。

 2つの園260名を抹殺した後は自首します。

 作戦を実行するに私からはいくつかのご要望がございます。

 逮捕後の監禁は最長で2年までとし、その後は自由な人生を送らせて下さい。心神喪失による無罪。

 新しい名前(伊黒崇)本籍、運転免許証等の生活に必要な書類。

 美容整形による一般社会への擬態。

 金銭的支援5億円。

 これらを確約して頂ければと考えております。

 ご決断頂ければ、いつでも作戦を実行致します。

 日本国と世界平和の為に、何卒(なにとぞ)よろしくお願い致します。

 想像を絶する激務の中大変恐縮ではございますが、安倍晋三様にご相談頂けることを切に願っております。

植松聖

 (住所、電話番号=略)

 かながわ共同会職員

相模原殺傷:衆院議長宛て手紙 全文 – 毎日新聞より 2016年7月26日 18時07分)

 

“戦後最悪” 19人殺害事件 初めて遺族が語る

事件で26歳の娘を亡くした母親です。娘が懸命に生きてきた証しを伝えたいと、幼いころからの写真を見せてくれました。

娘を亡くした母親
「とにかくついてきて、トイレの中にもついてくる。なんか二重あごになっているけど、かわいい。親ばか、かもしれないですけど。」

 

3歳のときに自閉症と診断された娘。成長する姿を大切に記録してきました。施設に入れたのは高校2年生のとき。夫の病気や親の介護が重なり、体調を崩して長期入院し、娘の世話をすることができなくなったからです。頻繁に会いに行けない中で、施設から聞いた娘の様子をメモに書き留めていました。


「書いてあるんですけど、ぶどうをおいしそうに食べ、公園でアイスクリームを食べ、笑顔が多く見えた。」

施設の中で好きだったのが、中庭にあるブランコだったと言います。

 

「子どもの頃、結構こいでも大丈夫な感じで、よくブランコに乗っていたかな。楽しい思いをしてたんだな。」

現実を受け止めきれない中で、娘が好きだった曲を繰り返し聴いてきました。

 

スピッツ「チェリー」
♪“君を忘れない 曲がりくねった道を行く”

 

この曲を聴くたびに、娘が今もそばにいるように感じています。

 

スピッツ「チェリー」
♪“いつかまた この場所で 君とめぐり会いたい”


「どんな命も、大切な命です。納得いかない、許せない。今は少し落ち着いているけど、その前は本当に、なんか私もそっちにいきたいですって。でも、あまり泣いてばかりいても『お母さん頑張って』って言うような気がして。一生懸命、生きています。」

 

娘を亡くした父親
「やっぱり、うちの娘、かわいいなって。残念なのは、最後に会ったときに、だっこしてあげられなかったことが、ずっと心残りです。だっこをすると、必ずかみさんの方を見て、得意そうにしている。『父は私の方が好きなんだよ』っていうふうに。あの世があって会えるんだったら、また、だっこしてやるよという毎日です。」

 

重い知的障害があった娘。妻が病気で入院し、自身も仕事がある中、施設に入れることを決めました。

 

「(施設に)預けたせいでというのは、やはり自分のせいだと思っています。」

 

父親は、事件を起こした植松被告のある言葉だけは、どうしても打ち消したいと言います。それは“意思疎通ができない障害者はいらない”というものです。娘とは、言葉も気持ちも通じ合っていたからです。

 

「片言でも単語は話せるし、何かしてほしいというときには、自分から身を乗り出してくるし、目と目が合えば、だっこしてほしいんだなと分かる。(植松被告の言葉)それだけは否定します。大きなお世話だと思います。」

シリーズ障害者殺傷事件の真実 被告の手紙・遺族の声

https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4013/

 

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