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【社会福祉士】留岡幸助 家庭学校の創設者

あの人はどんな人?

 

留岡幸助

 

■人名、出身国、生没年

留岡幸助 岡山県 1864ー1934

 

■実績

神学高卒業後、牧師となった留岡幸助は、その後牧師として勤務したのちに、渡米して監獄事業を学んだことにより、日本のこれまでの懲罰を課すことでの感化ではなく、教育に重点を置いた感化施設をつくることによる人の育成を考え、児童感化施設である家庭学校を東京巣鴨に創設した。家庭学校では、実践教育、職業教育、体育、宗教による徳育が重視され、今で言うところの非行問題を社会科学的に考察することで、15人以内の児童と夫婦1組という少人数による感化教育の実践を行った。

 

■人柄

北海道に創設した家庭学校は、当初は数多くの近隣住民からの妨害にあったが、雨漏りのするような小屋で生活しながら、自らが先頭に立って荒れた農地を開墾していく姿を見るにつれて、徐々に地元の協力者が増えていった。

 

■エピソード

子供がいなかった米屋の留岡金助の元に養子としてもらわれた留岡幸助は、小学校のときに、ふとしたことから士族の子供と喧嘩になってしまった。当時の階級社会では、町人である米屋の子が元武士階級である士族の子に対して手を出すようなことは許されることではなく、幸助も相手が振りかざしてくる木刀に対して、その痛みに耐えていたが、自分に非がないのにやられ続けることに対し、ついに抵抗し相手の手に噛み付いてしまったのである。さらに運の悪いことに、その士族の子の家は、金助の得意先の武家屋敷であり、呼び出された金助は出入り禁止となってしまうのである。家に戻った金助は、幸助を殴り倒したのだが、幸助はなぜ、自分の身を守るために正当防衛で噛み付いた自分がこのような仕打ちを受け、士族の子がふるった暴力が不問になるのかが納得できず、階級制度に対しての不公平感を募らせていったのである。幸助はこの出来事を生涯忘れることができず、その後の彼の活動の礎となっていったのである。

 

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